《2009.4.18〜19》
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※4月17日以前の日記は、前ページに掲載
4月18日(土)きょうの気温は24℃まで上がりました。戸外での仕事は暑いくらい…
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浪華さくらそう会の廣田友重さんから数種類の桜草苗を提供していただいたのに、多くをうまく咲かすことができませんでした。私の留守中、実生で開花させた株を30ポットほどを届けて下さっていたので、プランターに植え付けました。そしてきょう、お礼を兼ねて廣田邸を訪問。ご自身の栽培作品を見せていただきました。帰りには、「いずれ処分する株ですから…」とおっしゃって、さらに同じくらいの開花ポットをいただきました。いま、事務所前に桜草の“群落”が出現しています。
ところで、3月14日に絵手紙展でお目にかかった常松えみ子さんも、先日廣田さんの桜草を見に行かれたそうで、まさに「夢心地」で見事な花々をご覧になったらしいハガキを送って下さいました。
4月19日(日)とうとう28℃。半袖が欲しくなりましたが、夏衣料はまだ出ていません。
午後、事務所で市政報告会。きょうも、初参加の方が2人ありました。
さて、青森市長選挙の結果、3日間滞在して応援した鹿内博さんが当選。6選をめざした現職候補の野望を大差得票で阻みました。鹿内さんは1982年に市議初当選。79年に市議になっていた私は、ある会合で同席した鹿内さんと、互いの「無所属市民派」の活動で意気投合し、86年2月の選挙の応援に出向きました。
鹿内さんは91年に県議となり、93年の総選挙に無所属で挑んだ私の応援に来阪してくれるなど、親交が続いていたのです。今回の市長選も、鹿内さんは「無所属市民派」を貫きました。社民党と共産党が「支持」を表明したものの、選挙運動はこれまでと変わらない手作り市民選挙。20年間市長の座に居座った現職候補が、自民党、公明党のほか、連合青森や市職組、各種業界団体の支持を得て組織選挙を展開したのとは対照的でした。なお、民主党は「自主投票」ということでしたが、何人かの県議は鹿内支持だったようです。
3日間、候補者と共に街頭に立ち、ときには応援演説もしました。市議、県議を通じて27年間、鹿内さんが市内辻辻で続けてきた「街角議会報告」は誰の目にも焼き付いているようで、ほとんどの車から声援が寄せられ、とりわけタクシー運転手さんの応援ぶりは格別でした。
▲住民投票での「合併反対」を踏みにじられた旧浪岡町住民は、鹿内候補の県議会活動に信頼を高めたようです。