●田中良太さんの志木合宿レポートA(前ページからつづく)
志木市の穂坂邦夫市長の言葉で印象に残ったものに、<職員に対して、「志木をいちばんよく知っているのは君たちだろう」と言っています。文書作りを外部に委託することはいっさい止めました>というのがあります。
いま多少なりとも自治体行政に接している方々は、「シンクタンク製」文書があまりにも多いことをご存じだと思います。「まちづくり」の基本計画そのものが、シンクタンク製といった市町村も結構あります。
そのことが議会などで問題にならないのは、市役所・町村役場の「手作り」よりも「外注」の方が上等のような錯覚があるからでしょう。これはファーストフードやファミレスの方が「お袋の味」よりも上等だという感覚と同じことです。単に食べ物のことではないだけに、かえって始末に悪いといえます。
シンクタンク製の「○○計画」はどんな構成になっているでしょうか? まず冒頭に「21世紀は△△の時代」などという総論部分があります。「自然環境を大切にする」「やさしさが求められる」などさまざまですが、ともかく下手な新聞論説のような、「美味しそうな言葉」が並びます。
次いで、「日本の制度はこういう形で展開する」という見通しの部分があります。人口推計をもとに、少子高齢社会が到来し、それによって社会の仕組みがさまざまに変わるという予測です。この部分は、厳しい表現も含まれますが、下手な新聞論説と似ているという点では同じことです。
こういう部分から、「××市のまちづくりは▽▽でなければならない」などという目標を設定します。このやり口で計画をつくると、××市も○○市も、まちづくりの目標はまったく同じということになります。
シンクタンク製まちづくり計画では、その後に、「××市の個性」が出てきます。すでに目標は設定されており、その目標に沿ってまちを作り変える必要があります。××市の個性は切り捨ての対象にしかなりません。
まちの個性が失われ、どのまちも同じような姿になる理由として、国が地方を縛り付けることが指摘されがちです。補助金を支出する見返りに、がんじがらめに縛り付け、「全国至るところで同じ」という姿にするという「強権的支配」は、義務教育などで行われています。
しかし「中央による地方支配」の手法は、この「強権的支配」だけではないのです。シンクタンクというサービス機関の存在もまた、中央による地方支配に貢献しています。これは「柔構造による支配」の一環でしょう。
柔構造による支配の問題を考えると、新聞論調なども、地方自治体の個性を失わせる悪い役割を果たしていることを指摘せざるをえません。私たちのアタマが新聞論調に慣れてしまっているから、シンクタンク製まちづくり計画が「良い内容だ」と思えるのです。ファーストフードが好きな若者を馬鹿にすることはできません。
いずれにせよ没個性のまちづくりの元凶となっている計画文書の外注などいっさい廃止すべきです。
「まちをいちばん良く知っているのは市役所・町役場の職員だ。だから職員が計画文書を作ればいい」
という穂坂市長の言葉は、単に職員を信頼しているというだけにはとどまりません。「まちの計画の中で最優先されるべきは、まちの個性だ」という考え方に基づいているのです。
四街道市の現状は、「計画文書はすべて外注」に近いものであるようです。こんなことは、早く止めなければなりません。
職員が自分の感覚、自分の考え方に自信を持ち、それをまちづくり計画にいかしていく。こうした市政のありかたが確立するなら、市職員のモラールも数段上がり、生き生きした働きぶりになるのではないでしょうか。
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