●田中良太さんの志木合宿レポートB(前ページからつづく)
志木市で印象に残ったのは、市域の狭さでした。面積9.06kuで、四街道の34.07kuの4分の1程度にすぎません。人口は志木6万6,000人、四街道8万4,000人ですから、人口密度を計算すると、大きな差となるはずです。
数字上のことだけではありません。合宿初日の会場は「いろは遊学館」だったのですが、その建物は志木小学校、図書館、公民館と併用でした。志木市に問い合わせたところ、「小学校を閉ざされた施設としない」という発想から生まれた複合施設だということですが、公共用地が不足しているという背景がありそうな気がしました(志木市は否定していますから、単なる私の推測ですが……)。
また東武東上線志木駅は、隣の新座市の市域にあるという問題もあります。志木市の「中心」が、市域外にあるわけです。市政改革の中で、地域通貨の発行は当然考えたいところなのですが、市民が駅前の商店で買い物をするときに、「ここは新座市だから使えない」というのでは、利用価値が半減します。このため地域通貨の問題は「検討中」とのことでした。
比較してみると、四街道には公共用地不足という問題はありません。戦前・戦中は「軍のまち」だったのですから、「至るところに国有地がある」と聞いています。JR総武線の四街道、物井両駅は市域内にあり、地域通貨を発行するとしても何の問題もありません。
じつは私が四街道に家をつくったとほぼ同時期に、大学時代の友人の一人が志木市のマンションを買いました。友人は「都心に出る便利さ」を優先させて志木市のマンションを選び、私は「家を持つなら一戸建て」と考えて、長時間通勤の犠牲に耐えることにしたわけです。志木と四街道を市域という点で比較すると、マンションの一室と一戸建ての家の差があるような印象を持ちました。
まちづくりを考えるときに、スペースの問題は極めて重要な要素だと思います。公共用地と駅の問題だけ書きましたが、「自然」の問題を考えれば、志木市と四街道市の差はもっと大きいと思います。市域内の農地の広さ、森林の広さなどを比較してみたいものです。
四街道なら「自然に触れあうことができるまち」「地産地消のまち」をつくることが可能でしょう。しかし志木では難しいように思われます。
残された自然が少なくなっているからかもしれませんが、志木市は「川」を大切にしています。西暦2000年につくられた市政要覧は、表に「LIVES・志木の暮らし」▼裏に「RIVERS・河岸の四季」と印刷されています(あるいは表裏が逆かもしれません)。つまり「志木=川のまち」という位置づけなのです。
志木市内には、荒川とその支流の新河岸川、さらに支流の柳瀬川と三つの川が流れています。市政要覧では3つの川と、江戸時代に新河岸川舟運が始まり、その河岸場が設けられ、また市(いち)も立ったという歴史が、紹介されています。ご多分に漏れず、高度成長期に水質汚濁は極点に達していたのですが、その後、市民の努力で、ようやく川に自然がもどってきたことも紹介され、「この水辺を守るために、今、私たちにできること」が4ページにわたって特集されています。
こういう志木市の姿勢に学びながら、私たち四街道市民はもっともっと豊かな自然と、市内の農家を大切にしていかなければならないと考えるようになりました。私の住んでいるみそらの近くでも、ほたるが見える場所があります。「ごみ焼却場付き住宅地」である現状は何とか離脱し、「ほたる付き住宅地」であることを誇りにしたいというのが、一住民としての願いです。
何十年か先に「自然が豊かで、農地もたくさんあったのに、気がついてみたら何もなくなっていた」ということになってしまう愚かな展開は避けなければなりません。