※このリポートは、田中良太さんの「地域からの発信」からの転載です。
 8、9両日、埼玉県志木市で行われた都市政治研究所自治体議員勉強会に参加しました。都市政治研究所とは大阪・堺市議の長谷川俊英氏が主宰する団体です。長谷川氏は堺市で政治倫理条例をつくり、国政レベルで閣僚や国会議員の資産公開などが行われるきっかけをつくった人です。
 その長谷川氏と私は、学生時代からの知り合いですから、合宿勉強会のお誘いがあれば、当然の付き合いで「参加」の返事を出すといったことになりました。
 1泊2日の日程を終えて、その中身の濃さに驚かされました。基本的には志木市の穂坂邦夫市長が推進している市政改革の内容を聞くという日程になっていましたから、その「改革」の中身がたいへん充実したものだったのです。
「市民がオーナー、市長はシティ・マネージャー」というのが、穂坂市政の基本精神です。「市民会議」は四街道にもありますが、さらに一歩進めて「市民委員会」とし、予算編成までやってもらい、予算市民案を作ってもらう。
 さらに市の業務をすべて市役所職員がやるという現行制度を「古い20世紀型」と切り捨て、可能な業務は「行政パートナー」にやってもらうという大胆な行政改革を実行し始めています。
 それを可能とするため、市の事務事業927事業について、「ゼロベース検証作業」を行いました。その結果430事業が廃止・縮減・見直しの対象となり、実施のための経費12億7,377万円が縮減できたそうです。
 ゼロベース検証作業を受けて平成15年2月に決定した「志木市・地方自立計画」では、20年間市職員の新卒採用はストップし、職員数は619人から301人に減らすことにしています。その代わりゼロだった行政パートナーは523人になります。行政パートナーは、団体と契約を結ぶ形をとっていますが、1人分の時給は700円が原則です。人件費67億円を節約し、投資的経費に回すことができるという計算です。
「じっさい20年間新規採用ストップをやって大丈夫なのか?」という質問が出ましたが、「職員の年齢構成のひずみがどういう影響をもたらすのか。やってみなければわからない。業務遂行上のデメリットがあまりに大きければ、そのときに考えればいい」(市幹部)という答でした。
「現状が正しいと考えるのを止めて、改革に動き出そう。間違いだったら軌道修正すればいい」というのが、「穂坂イズム」であるようです。
 都市政治研究所主宰の長谷川氏と、穂坂市長は、昭和16年生まれの同年齢(余計なことですが、書いている田中は1年下の17年生まれです)。しかし経歴はまったく逆です。長谷川氏は、60年安保闘争のとき京都府学連幹部として学生運動に参加。卒業後、桃山学院大の事務職員となりました。市議になって以後は、「非所属」という無党派を貫き、「社共両党のように行政と妥協しない」姿勢を貫いてきました。
 これに対して穂坂市長は、若くして市議となり、その後県議に転じました。一貫して自民党であり、県連幹事長の要職にも就きました。前市長が引退した平成13年6月の市長選で立候補を表明、無競争で当選しました。
 穂坂市長の講演が終わった後、長谷川氏は「同年生まれの穂坂氏と私は、政治的にまったく逆の道を歩みながら、自治体改革というテーマでは、ほとんど同じ考え方をしているということが分かった」と言っていました。
「自民党」とか「社共より左」とか考えると、経歴は対照的となりますが、一貫して地方自治の世界を歩んだという点では同じことです。いま自治体が置かれている状況の下では、自民党の人が考えても、社共より左の人が考えても、同じ答が出てくるということだと考えました。これは長谷川氏の解釈ではなく、小生の考えです。
 じつは長谷川氏も穂坂氏もともに1度、衆院選にチャレンジしています。当選して、「陣笠代議士」となるよりも、地方政治のベテランとしてパワーを発揮してくれた方が、ずっとプラスでしょう。穂坂氏を国政に送り込まなかった志木市民の知恵は素晴らしいものがあると思いました。
 前号でも触れましたが、補助金のシステムで国が地方をがんじがらめに縛り付けていた時代、地方自治体行政は首長が誰でも同じことだったのです。そういう時代は終わり、「三位一体改革」によって地方の財源は確実に減らされます。
 それでも「古き良き時代」にしがみつこうとする首長か、それとも穂坂氏のように大胆に改革を打ち出す市長か。その差は、極めて大きいというのが、私見です。(次ページにつづく)
「市民が主役」の志木市政に学ぶ
田中 良太(四街道市会議員・元毎日新聞記者)