12月3日(土)ヤマボウシの紅い葉はほとんど散り、イチジクも黄色い葉を落としました。
※12月2日以前の日記は、前ページに掲載
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《2005.12.3〜6》
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ようやく風邪症状が治まり、早朝から2時間、配り残していた「議員活動報告」を地元町内にお届けしました。その後、事務所周辺の落ち葉を集めたり、鉢花の入れ替え作業。午後からは、「活動報告」の配布を引き受けて下さっている方を訪ねました。また、夜は、アムネスティ堺グループが堺カトリック教会で催した「クリスマス・チャリティーコンサート」に出かけて、このところの忙しさに一息。今年は、見事なテクニックを駆使したハーモニカ演奏のほか、ソプラノ歌唱とフルートやピアノの演奏を楽しませていただきました。
ところで、12月に入って、喪中による「年賀欠礼」のご挨拶が届きます。「8月に、96歳で天寿を全う致しました」とのお知らせがあった西村貞代先生(守口市)は、中学時代の恩師。ご遺族からいただいたお便りには、「ご自慢の話の中にいつも長谷川さんのお名前が出てきました」と書き添えてありました。卒業後もずっと気にかけていただいて、選挙のたびにカンパまで送って下さっていましたから、きっと終生心配の種が尽きない教え子だったのでしょう。また、つい先日に亡くなられた平田キクエさん(新金岡町3丁)は97歳。地下鉄開通前は団地住民の通勤駅だったJR堺市駅前で街頭活動をしていたころ、何度もビラ配りを手伝って下さったお元気な姿を忘れられません。皆様方の長年にわたるご支援のお陰で、今年も議員活動を続けさせていただくことができました。謹んで哀悼のまことを捧げます。
12月4日(日)朝から冷たい雨。寒気もやって来たので、ハイビスカスは室内に避難…
予定されていた町内会の一斉清掃は、雨のために中止。ケアハウスの母からコタツの注文があったので運び、その後は、ひたすら事務所で仕事です。私たちの会派を代表して、7日の大綱質疑に立つ月森議員の参考にしてもらうための資料や、年末に事務所から発送予定の印刷物の準備にもかかりました。
12月5日(月)猛烈な寒気と強風。屋上ベランダではたまり水が氷を張っていました。
厳しい冷え込みの朝、大工さん2人がやって来て、資料棚の重みを支えきれなくなった事務所の床を補修してくれました。
午前中は、大綱質疑の内容をさらに練るための会派会議。午後いちばんに岸和田市役所を訪ね、14日に任期を終えられる原f市長にお目にかかりました。8期32年、長期政権を維持された原市長には、私が1993年の衆院選に立った折に応援していただいたご恩があります。堺市から岬町までが選挙区だった、最後の中選挙区制選挙。無所属の市民派選挙で西村真悟氏(民社)や北側一雄氏(公明)などと戦い、84,699票を得ましたが次点でした。
12月6日(火)強い季節風は治まりましたが、寒さはきょうも続き、雨も残りました。
大綱質疑の初日は、公明党とフェニックス民主が共に美原町出身議員を立てて、午前中に終わりました。午後からは、自民党市民クラブと共産党です。きょうは、どの会派の質問も比較的あっさりしたもので、2問目の答弁を求める人は居なかったようです。また、4会派全部が終わっても、会議時間はまだ1時間余っていました。聴いている側に余裕があったので、傍聴席の様子を観察。発言者それぞれの家族か後援者とおぼしき方々が座っておられたのですが、その数は、公明党議員=3人、フェ民議員=3人、自民市民ク議員=4人。共産党議員の場合、最初の発言時は6人で、3時に休憩となって再開後は誰も姿が見えませんでした。