※2月8日以前の日記は、前ページに掲載
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《2005.2.9〜22》
2月9日(水)お昼すぎまでは暖かい日。夕方に気温が下がり、小雨も降り始めました。
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このところ“歩き癖”が付いてしまったようで、今朝は、大泉緑地の北側にある母のケアハウスを訪ねたところ、用事を頼まれ、そのまま郵便局へ。もっとも、市役所まで歩く時間の余裕はなく、事務所に戻ってから車を使ってしまいました。
市役所では旧美原町議の皆さんの“新人研修”が続いていて、きょうは「パソコン研修」の日だとか。さて、どの程度の方々に使いこなしていただけるでしょうか。一般職員にはまだ「1人1台」が実現していない端末機が、議員には全員分が用意されているのですから…。
2月10日(木)不機嫌な空模様ですが、花たちは春の近づきを感じているようです。
2月議会の初日本会議が開かれました。在任特例によって美原町議から堺市議となった18人を加え、69人という大所帯で早速混乱。冒頭、事務局長が宣告した「議場に在席する議員数」と、実際に座っている議員の数が合いません。新議場になってからは、着席した議員が議席札を立てると在籍者数表示の電光板に連動する仕組みだったのですが、仮設議席を作ったために装置が使えず、目視する事務局職員のカウントミスです。とばっちりが職員に及びました。
きょうの本会議は、議席指定、会期決定、旧美原町議員の所属委員会の決定など、あらかじめ協議済みのことを確定するセレモニー。この後、28日の本会議までは事実上の休会です。
2月11日(金)〜22日(火) 四国遍路の旅に出て、約250qを歩きました。
「しばらくの間、アクション日記の更新を休みます」と書き込んでから12日間、徳島県鳴門市から高知県室戸市までの「歩き遍路」を体験してきました。議会は事実上の休会期間で会議はありませんでしたが、ご相談や各種の連絡など、事務所からの電話によって対処させていただいたとは言え、ご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません。また、このことを前もってお知らせしなかったのは、「もしかしたら、途中で挫けて帰って来るのではないか…」と心配してのことです。お許し下さい。
11日、なんば高速バスターミナルを7時30分に出発し、2時間少しで鳴門西バス停へ。初日は、バス停から15分ほどの第1番札所・霊山寺から5番地蔵寺まで歩きました。12日は6番〜10番。13日は「足休めの日」として11番藤井寺だけ。14日には、「遍路ころがし」と言われる最初の難所・12番焼山寺から、標高938mの奥の院にもお詣りさせてもらいました。15日は13番〜16番。16日は17番と徳島市内の地蔵院や峰の薬師に詣り、17日は18番と19番。18日は2番目の「遍路ころがし」とされる20番鶴林寺と21番太龍寺を経て22番平等寺へ。19日は徳島県(発心の道場)の最後・23番薬王寺です。20日〜21日は高知県(修行の道場)を目指し、ひたすら阿波海岸を南下して県境越え。22日に室戸岬から登って24番最御崎寺へ。25番津照寺を経て、26番金剛頂寺に詣って区切りました。
私の場合、一日にいちばん長く歩いたのは34q余りですから、男性の遍路歩きにしては少しゆっくり目かもしれません。ともあれ、今回のお遍路で予定した総行程およそ250qを無事に歩ききることができました。88か所のすべてを歩いて回る自信はありませんが、折りを見て、続きも歩いてみたいと思っています。
なお、本格的な遍路の季節は3月からで、歩いている人はまだ少なく、8日目まではほとんど一人旅でした。しかし、遍路宿では様々な方たちとの出会いがあり、また、若者遍路が多かったのは意外でした。お遍路を「心の旅」としていらっしゃる方もありますから、そんな出会いを旅日記に書くかどうかは迷っています。とりあえず、「日記不更新」の言い訳をさせてもらいました。