《2004.10.3〜6》
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※10月2日以前の日記は、前ページに掲載
10月3日(日)半袖だと少し肌寒さを感じるほどに、曇り空で気温が下がりました。
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早朝の1時間、散歩を兼ねて地元町内に「議員活動報告」を配布しました。文化住宅や古いアパートでの空き家が目立ちます。ひと休みしてから、新金岡校区自治連合会の運動会に。大人と子どもが共に楽しむことができる秋の催しですが、11日には市民オリンピックを控えるなど、自治会役員の皆さんは大忙し。お世話様です。
午後からは、泉北ニュータウンで活動報告を配布して下さる方のうち何軒かを回りました。印刷ができあがっていないので、残りは来週お届けします。
▼都合により、明日の日記はすこし遅れて掲載します。
10月4日(月)熊本空港を経由して、フェリーで島原へ。幸い天候に恵まれました。
堺市高石市消防組合の議会視察で、雲仙普賢岳の噴火災害の跡地を見学。この地は1997年8月の自治体議員勉強会(諫早合宿)の際にも訪れているのですが、そのころに比べて住宅などの復興ぶりが目立ちます。また、2年前に「雲仙岳災害記念館」(がまだすドーム)がオープンし、被災状況やその教訓が理解しやすくなっていました。7年前には雨ざらしだった土石流に埋まったままの被災家屋も、その一部は大型テント内に保存され、周辺は「土石流災害家屋保存公園」として整備されています。
今回の視察では、被災当時の島原市長・鐘ヶ江管一さんの講演が予定されていたのですが、ご当人の病気療養のために中止。しかし、代役を務めて下さったボランティアガイドの長谷川重雄さんから、臨場感に溢れる被災体験を聴くことができました。「見学に来る子どもたちにいつも伝えています」と長谷川さんが強調した被災教訓は2つ。「次々と拡大した噴火や災害は、まさか、まさかの連続だった。“まさか”に備えての心構えが必要です」。「全国から支援物資や義援金が届いて励まされた。人と人とが助け合う心が大切です」。
10月5日(火)昨日のうちに長崎市に入り、今日は同市「南消防署」での視察です。
消防組合視察の2日目の訪問先に長崎市消防局を選んだのは、大型船舶火災への対応や、市町村合併に伴う消防組織の再編などについて、同市の取り組み状況を調べるためです。一昨年10月、三菱重工長崎造船所の岸壁で建造中の豪華客船ダイアモンド・プリンセス号で発生した火災は、全国ニュースとなりました。その折りの36時間にわたる消火活動の様子や教訓などについて、詳細な説明を受けました。また、一時は1市11町による合併協議が、結局1市6町となって進行中の合併に伴って、従来から「委託協定」に基づいて運用していた消防体制の改編をめぐる難渋の様子などについても情報を得ることができました。なお、編入合併となる各町の議員の処遇は、在任特例を適用せずに全員が失職し、それぞれの地域審議会の委員となるとのことでした。美原町と堺市との合併が、いかに美原町議員らの思惑を反映したものだったかが分かります。
10月6日(水)朝の気温が下がり、出勤風景でも上着着用の方が多くなりました。
朝、光明池駅前で街頭活動。午前中は泉北ニュータウンを回りました。午後からは、「議会のあり方に関する調査特別委員会」で、陳情者や請願者に意見を述べてもらうべきか否かなどで議論。1992年に米バークレー市で見てきた「オープン・マイク」(市民の自由な発言を聴く)制度を紹介しながら、「市民に開かれた議会をつくろう」と主張しました。