3月8日(土) 時折、陽光は差すものの、気温の上がらない日でした。
※3月7日以前の日記は、前ページに掲載
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《2003.3.8〜11》
「アクション日記」のはじまりへ
常勤スタッフに休息してもらうため、今日は事務所を休みにしよう思っていたのですが、発送作業のためにボランティアの皆さんが何人も来て下さいました。実は、昨日もこの作業に加わって下さった方々で、「残して帰った仕事が気になって…」とのこと。ほんとうにすみません。お陰様で作業消化のめどがついて、午後から少し市内をまわることができました。
3月9日(日) 満開の沈丁花が芳香を漂わせています。雪も舞う「春」の日です。
今日は、推せん会の会議を午前中に開催。いつものメンバーのほか、8年前、「若者を堺市議会に送ろうと」と懸命に取り組んだHさんが加わってくれました。当時は大学院生、仲間から「ホリピー」の愛称で呼ばれていたHさんも、もう1歳9か月になる愛児を抱いての参加です。
午後からは、堺東駅前で街頭活動。いったんご自宅に戻って出直して下さった方、事務所からそのまま同行して下さった方、街頭活動のためにわざわざ出てきて下さった方など、総勢9人のボランティア・メンバーとともに「休日の堺東」を初体験しました。やはり若者たちの反応はいまひとつでしたが、中年層以上の方々の何人かから激励のお声がかかりました。また、某紙記者の取材も、今日はうまくいったようです。
3月10日(月) このところ寒い日が続き、今日も小雪が舞いました。
白鷺駅で、早朝からの街頭活動を行いました。乗客の数がこれまでの駅よりも少なく、またどちらかと言えばなじみの薄い駅でもあったからでしょうか、「皆さんの反応はさほど鋭くはなかった」というのが、率直な実感です。体験的に言うと、気候の厳しさも反映するようで、凍えるような寒さが身に応えました。それでも、「えっ!やっと復帰してくれるのですか」と声をかけて下さる方が何人かあって、ボランティア・メンバーにはやりがいを感じていただけたようです。連日、朝早くからのご参加に、頭が下がります。
午後は、先日わざわざお便りをいただいた田原いく子さんを訪問。田原さんは、かつて市政改革の市民運動に取り組まれた方で、当時と変わらない鋭いご意見とご注文を伺い、我が身を引き締めました。このほか、市民文化活動に携わっていらっしゃるKさんやIさん、地域の教育活動に熱心なFさんなどにお目にかかり、長年環境活動を実践されるSさんからも電話をいただくなど、各分野で積極的な市民活躍をしておられる方々との会話が続きました。そして夜は、某紙記者から3度目の取材です。
3月11日(火) 連日の寒気が居座り、泉北ニュータウンでは小雪にあいました。
数年ぶりに深井駅で街頭活動。朝早くからかけつけて下さったボランティアの皆さんとともに、予算審議をめぐる堺市議会の非常識ぶりを訴えました。こんな私たちの活動が、きっと市民の皆さんに届き、広がり始めたのでしょう。なんと、予算委員会の最終日だった今日、某党議員団から「海外視察」の経費を削減する修正案が提出されたそうです。また、この修正案は否決されたものの、議員報酬の引き下げをめぐる水面下の動き始まったとも聞いています。とにもかくにも、3月3日に申し入れた私の提案が、市議会内に大きな波紋を広げていることは確かです。