(36)
《2003.1.18〜20》
※1月17日以前の日記は、前ページに掲載
「アクション日記」のはじまりへ
1月18日(土) 一時小雨。しかし暖かい日で、団地内で梅のほころびも見ました。
都政研の「ニュース・レター」を皆さんにお届けするため、たくさんのボランティアが集まって下さいました。わざわざ河内長野市から足を運んでいただいた桃山学院職員OBのIさん、松原市で昨年の市議選に挑んで敗れたFさんなども加わって、今日の予定作業は完了です。お届け中に、「某党の市議が市営住宅入居の枠を持っていると聞いたけど、ほんと?」との質問を受けたそうです。たしかに、20数年前に府議が府営住宅に関する“特権”を持っていた様子はありました。しかし、いまもそんなことが続いているなら許せないことです。きっと、そんなふうに言って党勢拡大に務める人たちがいるのでしょうね。
1月19日(日) 雨模様の不安定な一日でした。
昨年に引き続いて、美原町M地区会の新年互礼会に招かれしました。遅刻してやって来た町長が長い長い“来賓祝辞”で、手前みその「合併論」をぶちました。昨年も同様で、折角の料理や飲み物の“お預け”を食った模様を「朝日21関西スクエア・会報」に書いています。今年は、乾杯が済み、ごちそうにも手を付けた後だったので少しは我慢できたのですが、地区会の役員の何人かは話の内容に我慢できなかったようです。
昨年11月に無投票で3選された町長は、その直後から突然「堺市との合併」を主張し始め、M地区会役員を務める主婦らが、住民投票条例の制定を求める直接請求運動を始めているまっ最中。町長も、当然そのことを意識していたのでしょう。「美原区ができなければ合併しない」とか「対等合併だから合併特例債288億円のうち半分は美原町のもの」など、およそ現実離れした話を延々と続けました。
ともあれ、M地区の住民たちは、「話の間、ずっと床を向いて話していたね」と、まっすぐ住民と向き合えない町長の話ぶりから、町の将来に不安を感じたようです。
(この日の日記の内容について、町長の高岡寛さんから「申入書」が届きました。たしかに「真偽を確認していない」と断って記述している部分がありますので、一部を書き改めました。2003.1.24補記)
1月20日(月) 今日は大寒。しかし、早くも杉花粉が飛び始めたそうです。
およそ9年ぶりに堺東駅前で街頭演説をやりました。市議時代の14年間、ほぼ月1回、活動報告を続けてきた場所です。
ほんとうに久しぶりに懐かしい方々にお目にかかり、たくさんの激励の言葉もいただきました。また、アピールのビラを配るために力を貸してくださったボランティアは10人。視聴覚障害者のNさんも介助の方と横断歩道の手前に立って、信号待ちの人々に手渡していただきました。快く受け取ってくださる方が多く、初日の街頭活動は予定より30分も早く終了です。
貴乃花引退のニュースから、「引き際」というものを考えさせられるのですが、結局は“たたかう気力と体力”を失ったときがその時なのでしょう。数々の激励や、初体験のビラ配りに創意工夫をこらして下さるボランティアの皆さんの行動力やお気持ちをいただいて、いっそうチャレンジの心を燃やしています。
昨年の秋、政治現場へのカムバックの気持ちをまとめた文章を読んでくれた旧知のK記者が、「これで“正々の旗”を掲げることができた」と言い、「後は“堂々の陣”を構えてほしい」と助言してくれました。皆さんのお陰で、何とか“正々堂々の陣容”を整えられる可能性がかすかに見えて来たようです。しかし、9年間のブランクを乗り越えるには、まだまだ厳しい山や谷がいくつも待ち受けています。どうかさらなるお力添えをお願いします。
ホームページのアクセス件数は、今朝、4000を超えました。開設以来138日目です。