1月9日(木) 今日も寒い日でした。忙しくなって、花たちへの施肥も忘れぎみです。
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《2003.1.9〜12》
昨夜から、テレビのニュースでとても懐かしいお顔を拝見しています。大阪市浪速区で起こった家屋倒壊事故で、被害にあった木造住宅のSさん。もう22年も前になった市川房枝選挙をいっしょに手伝っていただいた方です。しかも、多分、壊れてしまったあのお家だったと思うのですが、大阪選挙事務所はSさん宅に設けさせていただき、ボランティアの人たちの集まる場になりました。Sさんは、女性タクシー・ドライバーの草分けで、大阪で個人タクシー免許をもらった女性第1号だなんてお話しも、その折に聞きました。あのときの選挙運動仲間だった石原正さん(鳥瞰図絵師)からも電話がかかってきて、「85歳のSさんがきっと困っている。なんとかしないと…」。工事業者が3泊分のホテルを用意したというニュースを頼りに連絡先を当たりましたが、なかなかわかりません。結局、やはり選挙運動に加わっていただいていたOさんが、Sさんのお姉さん宅と連絡をとって下さって、「親族でサポートしているから心配には及ばない」との確認ができました。まずは一安心です。
1月10日(金) 「寒凪」というのでしょうか、日中は寒さが和らいで穏やかな日でした。
今日も、うれしい言葉をたくさんいただきました。初めて事務所に見えたボランティアのお二人→「私たちのほかにも、お手伝いに行ってみようか…という人がいるんですが、どんな仕事があるのか、とりあえず2人で様子を見に来ました」。南野田のNさんからは初メール→「みんなで“市民の旗”を押し立てよう!の言葉も、堺市政へカムバックも大賛成。ただし、私心をひとこと言わせていただければ、もっと早くカムバックしてほしかった。26日の集会にきっと行きます」。市役所のガードマンさん→「新聞読みましたで!
帰ってきてくれはるんでんな。やっぱりおってもらわなあきまへん。よかった」。皆さんのご期待の重みが、ずっしりと伝わってきます。
1月11日(土) 天気がよく、また風もなくて暖かな「冬凪」がつづいて、助かります。
9年ぶりのカムバック。しかも、最後の市議選は12年前の1991年でした。その折にお世話になった長曽根町のIさんを訪ねましたが、ご応接下さった奥さんのお話では、すでに10年前に他界されていました。長年のご無沙汰で、ほんとうに申し訳ありません。同じ団地のTさんからは、1995年の選挙で当選した若いK議員は「後継者ではなかったのか?」と問われました。「後継者」なんて言葉は使わなかったとは思いますが、彼を推しだそうとする若者たちの運動を支援したのは事実です。ただ、その後のK議員の行動は、残念ながら市民に背を向けたもので、若者たち(当時)も彼から離れました。
1月12日(日) いつまでも続いてほしいと思う穏やかな気候が、今日も…。
前の住所地が所属する自治連合会の新年互礼会に、転居後も毎年お招きを受けていて、昼前から出席させていただきました。この会では、阪神タイガースを題材にした新年挨拶をするのが恒例で、今年は、「タイガースの優勝よりも難しいテーマにチャレンジしている」とお話ししました。午後は、長谷川俊英推せん会の第4回会合。毎回、新しい参加者が増えて、事務所の会議室はほぼ満杯状態です。来週末〜月末までの街頭活動など、今後のスケジュールなどを話し合いました。お手伝いいただける方は、ぜひ事務所までご連絡下さい。