長谷川俊英14年の市会議員活動 (3ページ)
☆政治倫理条例づくりで全国行脚
☆労基局と掛け合い、過労死認定
「汚職があれば堺に学べ!」…堺市の政治倫理条例が制定されてからしばらくの間、こんな言葉が自治体関係者や住民の間に広く伝わったことがあった。私自身も全国各地をまわり、条例の意義や内容を説明した。議員を辞めてからもこの活動は続いていて、昨年(2001年)は東京の国分寺市議会に招かれ、同市議会は議員提案の条例を可決制定した。
写真は、直接請求で条例制定に至った奈良県天理市の住民集会で発言しているところ。
活動の場は議場だけではない。堺市内のプラスチック成形工場で、泊まり込みの連続勤務をしていたKさんが、ある朝、脳幹出血で倒れ、2日後に死亡した。悲しみと悔しさに打ちひしがれたご家族から相談を受け、勤務実態を調べて驚いた。連続勤務が60時間以上に及び、健康診断を怠るなど、会社の労基法違反も分かってきた。それでもすんなり労働災害と認めない労基局を相手に、関西労働者安全センターのメンバーや弁護士とともに交渉し、過労死の認定を得ることに成功した。この問題の解決に当たっては、労働者安全センターの皆さんの知識と行動力に頭が下がった。(1990〜91)
汚職事件に市民の怒り…直接請求で倫理条例を制定
☆4万5千余の署名が議会を動かす
許せない理不尽な“弱い者いじめ”
汚職で有罪判決を受けた議員が議会に居座り、議会は「辞職勧告決議」を否決した。灰色議員たちが仲間をかばうのでは、まるでヤクザ組織ではないか。私自身も一人の市民として、条例案づくりに加わり、直接請求の署名集めに取り組んだ。そして、炎天下にまとめられた堺市民45,730人の意思が、1対51だった議会の力関係をひっくり返し、日本で最初の政治倫理条例を誕生させた。
写真は、JR津久野駅前での署名風景。
☆人一倍、熱心な先生の現場はずしを回復
ある小学校で、PTA会長が自殺する事件があり、新聞では「連合運動会への参加をめぐる校内の混乱に対する心労が原因」と報じられた。市教委は、その混乱の責任を教育熱心なT先生に押しつけ、この先生を現場からはずして「研修」を命じた。父母らの相談を受けて、市教委に研修命令の理由や根拠を質し、また当の先生も命令の取り消しを求めて提訴した。その結果、市教委はT先生の現場復帰を約束せざるを得なくなった。(1984.11〜85.2)
(次ページにつづく)
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