長谷川俊英14年の市会議員活動  (2ページ)
市民に聞こえたら困ることを議論しているのだから当然…と言われたらそれまでですが、私が議員になったとき、堺市議会で開かれる委員会を、市民は傍聴することができませんでした。地方自治法に「議会は公開する」と書いてあるではないか…何度もなんども繰り返して議論して、やっと音声(別室に放送)だけの公開を実現。その後、委員会室にたった5席の傍聴席を設けるまで、なんと13年もかかりました。
議会の常識は「世間の非常識」  その1
時間がかかった委員会の公開
議会の常識は「世間の非常識」  その2
議会は言論の府に非ず
ものごとを決めるのに“議論を尽くす会”だから「議会」と思っていたら大間違い。次の数字は、任期中に議員が発言した回数を会派ごとに数え、会派構成員で割った1人当たりの平均回数。私が在任中のある4年間をとって、議会事務局の職員が調べたものです。
公明党(12人)10.2回、共産党(11人)21.3回、民社党(7人)11.9回、自民党(7人)4.0回、自民系(6人)16.3回、社会党(6人)13.8回、1人会派A36回、1人会派B48回、そして非所属クラブ(私)123回。(政党名は当時のもの)
質疑だけでなく討論(意見表明のこと)も含めての数だから、人数が少なければ回数が多くなるのですが、それにしても、最小の4回だったら年に1回しかものを言わないことになります。それにこんな議員からすると、他の議員の発言を聞くのも苦痛で、離席を繰り返したうえに、「発言時間を制限しよう」とすら言い出すのです。14年間は、そんな本末転倒の動きとのたたかいでもありました。
市民が動けば「常識」が通る。
少数派でも…直接請求など住民運動との連携で議会や行政の改革を実現
汚職事件で有罪判決を受けた議員が辞めずに居座ったとき、議会の対応は非常識の頂点を極めました。市民の批判に耳を貸さず、私たちが提出した辞職勧告決議も否決。「議席数が多ければ何でもできる」と錯覚していたようです。
怒った市民たちが、知恵を絞って「政治倫理条例案」をつくり、直接請求の運動を開始しました。集まった署名は必要数(1万余)の4倍を超え、その勢いが、1対51だった議席差を覆したのです。日本で初めて、1983年に制定された条例は、その後、全国の自治体に広がりました。
議会内では少数派でも、市民の常識に基づいて行動し、その運動と連携すれば、政治を変えることができるのです。情報公開制度や予防接種など、さまざまなチャレンジをしました。
一に調査、二に調査、三、四がなくて、五に調査
市政のチッェクに全力を傾注した14年間
高額な報酬を税金でまかなわれる議員にとって、何よりも大事な仕事は、納税者の代表として市政を監視することです。議会で議論するとき、何とかごまかそうとしたり、言い訳をしたりする行政当局を逃さないためには、徹底した事実調査と情報収集が必要です。
問題の現場には、カメラと筆記用具、ときには録音機をもって駆けつけました。右の写真は、市内・藤谷池の埋め立て現場で付近住民の迷惑状況などを調査しているところ。
そんな調査で取り上げた数々のテーマを、5ページ以後に掲載しています。
(次ページにつづく)
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