長谷川俊英14年の市会議員活動 (4ページ)
市民批判の高まりで、堺市議会の「海外視察」は1982年に中止となったが、住民訴訟の結果は、1988年の最高裁判決でも住民側の敗訴だった。
裁判に決着がついてからは、毎年のように復活論議が再燃したが、3年間ほどはこれを認めなかった。ただ、最初にこの問題を取り上げてから10年近くを経て、市民にとっても海外旅行が手軽なものとなり、その意識が変わっていた。訴訟を起こした「住民の会」で議論していて、「ほんとうに役立つ視察だったら、国内でも海外でもいいのではないか」ということになった。
そうは言っても、議員たちの本音は見えている。どうしたら公費の無駄遣いを防げるか…。結論は「市民参加」だった。市民に利益をもたらす視察だと言うのなら、市民もいっしょに行ったらどうか。そんな制度を盛り込んだ「要綱」を提案したら、なんと通ってしまった。
1992年に復活したアメリカ・カナダ視察には、公募に応じた市民66人のうちから論文選考(府立大学国際交流委員会に依頼)などで人選した2人が参加した。市議会が開催した公式な報告会で、参加市民のひとりが語った言葉が人々を納得させた。「議会という同質社会に異質の私たちが加わって、同質社会が宿命的に持つ弱点を補う役割を果たした」。
なお、この視察には私も参加して多くのことを学んだが、以下はその折りのスナップ。詳しい報告書はB5版72ページの冊子にまとめた。
議会の海外視察復活に際して、「市民参加」を実現
ただし、たった1年でこの制度は廃止された
アメリカ政府倫理局にポッツ局長を訪問
堺市の友好都市・バークリー市の市議会議場。毎週火曜日の夜に開かれる議会では、開会前の30分間、市民の発言を聴く「オープンマイク」制度を設けている。その様子は、FM電波で各家庭にも届いているという。(1992.11.4)
しかし、マスコミの同行取材まであった「海外視察への市民参加」は、議員たちにとってはとても窮屈だったようで、私が議員を辞めた後、要綱から削除されてしまった。
堺市の政治倫理条例案をつくるとき、下敷きにさせてもらったのがアメリカの「政府倫理法」。この法律を所管する「政府倫理局」を訪問した。出迎えたポッツ局長(写真左)は、私たちの質問に感心し、「この前来た国会議員たちよりもはるかに熱心」と同行の新聞記者に語ったそうだ。アメリカでは、コンピューターによる資産報告書へのアクセスなども開発中だった。(1992.10.28)
友好都市バークリー市の「オープンマイク」制度
円形議席のトロント市議会
にも傍聴者の発言マイク
トロント市議会の議場は円形で、議員同士が議論する構造になっていない日本とは大違い。傍聴者席からの発言マイクも備えてあった。(1992.11.2)