東日本大震災から、6年。あの日はちょうど、4月の市議選に向けて準備中でした。訪問中の中層団地の階段で揺れを感じ、帰宅後のテレビ映像が報じる恐ろしい津波来襲に驚きました。そして、原発事故への大きな憂いを抱きながら、事態の推移を見守っていました。
被災地では今も、12万3千人が津波や原発事故に伴って、岩手、宮城、福島三県の内外での避難生活を余儀なくされ、3万5千人が仮設住宅で暮らしています。他方、日本政府は、まだ放射線量の高い地域でも「避難指示」を解除。2020年オリンピックまでに「原発事故からの復興」を取り繕いたいのでしょうか。
6年目の今日、突然に失った家族への思いを伝えるテレビ報道に涙し、まだまだ日常を取り戻すことができない被災地の人々に対して、私たちは何ができるのかと考えました。
アスベスト対策に関する情報をたびたび提供して下さる古川和子さんから、先週金曜日の夕方にメールが届きました。兵庫県明石市のホームページに掲載されている同市の施策について注目し、担当職員の方から電話での説明を受けたとのこと。今朝の始業時早々に電話して、訪問調査を打診。快諾が得られので、午後一番に明石市保健センターを訪ね、事業内容の説明と関係資料の提供を受けました。
さらに、この施策は元々兵庫県の発案によるものと教えられたため、帰阪途中に尼崎市保健所にも立ち寄って、話を伺いました。実は、尼崎市は県が始める前から独自の方式で取り組んでいるのだそうです。
また、尼崎市では、市長、副市長、教育長、医務監、各局長で構成する「アスベスト対策会議」を設置しています。その資料も提供して下さったのですが、内容を見て環境部の対応に感心。少し離れている市役所にも足を延ばして、調査を試みました。
午前中、事務所で来客応接。午後は、堺市がん患者と家族の会の公開講座を聴くため、産業振興センターへ。順天堂大学医学部教授の樋野興夫さんが、「がんに効く心の処方箋一問一答」とのテーマで講演されました。樋野さんは島根県出身で、ご自身を「カントリーボーイ」と自称。「シティボーイ」ではない生き方から、医療現場とがん患者の間にあるすき間を埋める「がん哲学外来」という視線活動を始められてようです。この「がん哲学外来」は2008年に順天堂医院に開設され、全国に広がっています。また、2005年には「アスベスト・中皮腫外来」も創設されていることを、著書のプロフィールから知りました。