《2009.10.22〜24》
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※10月21日以前の日記は、前ページに掲載
10月22日(木)満開の芳香を放っていたキンモクセイが散り始めています。
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昨夜遅くなって、日記の更新は今朝になりました。また、きょうは駅前議会報告を休みにして事務所で仕事。市立堺病院の事務局から電話があって、「大阪府地域医療再生計画」について説明を聞きました。新市長が病院移転計画へのクレームを付けていることを確かめましたが、就任後の市長への事情説明は、まだ30分程度しかしていないそうです。他方、市長が11月12日の臨時議会で行う所信表明と共に提案する副市長の人事については、「新市長と高校が同期のM職員が有望」との噂も飛び交い始めています。
午後、市長選などを含む堺市政の動きを見つめてきた市民の方が事務所を訪ねてこられ、これからの住民運動などについて意見交換。大いに話がはずんで、気が付いたら6時間も語らっていました。
10月23日(金)「霜降」。暦はもう冬に向かい、朝の駅立ちも日向が好まれます。
地下鉄・中百舌鳥駅@A出入口での議会報告。この出入口は若い人たちの利用が多いのですが、男女を問わず、私の議員活動に興味を持っていただく人が増えたように思えます。「マイクが悪いのか、せっかくのスピーチが聞き取りにくい」とご注文を下さった方もありました。
ところで、先日ご紹介した「『立命館学園新聞』と私の青春」に関して、この冊子を送って下さった野瀬正巳さんからメールが届きました。「貴兄のHP『アクション日記』のコピーを、末川総長の元秘書、田村(現姓・小沼)陽子さんに、文集刊行記念会での墓参写真と共に郵送していましたところ、返信がありまして、『日記』について『先生も喜んでおられることでしょう』と、言及くださいました。一言、ご報告を。なお、田村さんは前橋市にお住まいです」。田村さんは、私の在学中も秘書をされていた方で、男子学生憧憬のマドンナ。同冊子にも2度登場しています。
●田村陽子氏 美貌で八頭身、何事もてきぱきこなす総長秘書。誤字脱字に厳しい総長をとりなしていただいたのも一度や二度ではなかった。(杉浦貞満さん=昭和33年卒)
●(安保闘争の終息後)学園新聞の販売・広告の収入は減少して、財政事情の悪化から印刷代金の支払いが困難となった。三十六年だったか、末川博総長にご相談するに及んだ。(中略)総長は「田村秘書に保証人になってもらいなさい」と、拾萬円を貸してくださったことが忘れられない。(土生豊隆さん=昭和38年卒)
物価を調べると、昭和36年(1961年)の大卒初任給は1万4817円。末川先生の学生とその自主活動を思う気持ちが、土生さんを感激させたのは当然でしょう。1960年に入学し、62年度の学友会(全学自治会)委員長を務めた私としては、立命館大学新聞社(学友会予算の配分先)がこの大金をどのように返済したのか、いささか気になってきました。
ともあれ、同じ学舎で育った…という体験の共有は、独特の連帯感を生むようです。竹山新市長の人事第1号は市長公室長に高校の後輩を据えたこと。噂の副市長候補は同級生(?)だとか。他方、木原前市長に殉職した感がある前市長公室長は、再任用先(上下水道局参与)の道も閉ざされた…と職員たちがささやきあっています。
10月24日(土)金木犀は散り、いまは白い花のギンモクセイの香りが漂っています。
朝から3時間ほどをかけ、百舌鳥梅町方面の各戸に「議員活動報告」を配布しました。8月に亡くなった笹岡保男さんが、「北区全域に配りたい」と言ってがんばって下さっていた遺志に少しでも応えられるかと思ってのことです。また、その笹岡さんの奥さんから「仲間の皆さんへ」と郷里の荒尾梨をいただいたので、夕方、配布ボランティアの方々を訪ねて届けました。