9月5日(土)4日連続の質疑は、さすがに少々くたびれました。きょうは身体休めの日。
※9月4日以前の日記は、前ページに掲載
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《2009.9.5〜6》
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昨日の決算委総務財政分科会での質疑の模様が、右の朝日新聞のほか各紙朝刊(日経は昨夕刊)で報じられています。2つの事件とも、消防組織の内部で事を小さく納め、外には漏れないようにしようとする意図が感じられるものです。質疑でも腑に落ちない答弁があったため、終わってから提供を求めた資料を見ると、やっぱりごまかしています。
●「30年は長かった…」。菅伸子さんからの電話
さて、総選挙の結果を踏まえて政権交代への準備が進み、党や内閣人事をめぐる動きが報じられています。昨夜、菅伸子さん(直人さんの妻)から電話があって、「菅は、30年は長かったなぁ!と言って、今朝、出かけました」とのこと。思えば、菅直人さんが初めてわが家を訪ねて来たのは1975年の5月でした。夜を徹して、「市民の政治参加」を語り合いました。その後、菅さんは76年から3回あった国政選挙に落選し、80年の衆院選で初当選。私は79年に堺市議となっていました。
左の写真は、私たちが知り合うきっかけを作って下さった市川房枝さんのお別れ式があった1981年2月、式場(婦選会館)近くでの会話風景です。菅さんが34歳、私は39歳。この時からでも28年半になります。
まさに長い30年でした。超多忙の菅直人さんに代わって、わざわざ「お礼の電話」をかけて来られた伸子さんと、旧来の政治手法への人々の怒りが政権交代をもたらしたこと、今こそ菅さんの“初心”に期待がかかることなどの話をしました。
●議員活動を終える…阪南市議の沢ナオミさん。ご苦労さまでした。
ところで、阪南市議の沢ナオミさんから、明日告示される市議選には「立候補しません」との便りをいただきました。沢さんは1989年に旧阪南町で、地域活動を基盤に初の女性町議となり、以来「無所属市民派」を掲げて活躍してこられた人。私の選挙にも来援して下さいました。お連れ合いを亡くされ、子育てをしながらの議員活動には、しばしば敬服させられました。
なお、今夜は、「堺市の交通全体計画を考える連続学習会」の4回目が栂文化会館で催され、参加しました。テーマは、「泉北高速鉄道が日本一高いと言われる謎!」。
▼朝日新聞(2009.9.5)
9月6日(日)暑い日差しの中、政令市移行後の岡山市長選挙の様子を見てきました。
岡山市議の羽場頼三郎さんから、「ぜひ見に来てほしい」とのお知らせを受けて、市長選まっただ中の岡山市へ行ってきました。現職、元職に加え、元副市長など合計6候補が入れ乱れ、民主、自民、公明、社民の各政党は、いずれも「自主投票」だそうです。なお、参議院議長の江田五月さんがきょうは岡山の自宅に居るというので、電話してみました。慌ただしい日程の合間に江田さんからも電話をもらったのですが、そのとき私が市の中心部から離れた場所に居て、顔を合わせることはできませんでした。同い年の江田さんとの付き合いは菅直人さんより10年以上古く、お互いに大学生だった1962年ころからになります。