《2006.7.13〜15》
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※7月12日以前の日記は、前ページに掲載
7月13日(木)まるで梅雨明けを思わせる日差し。しかし九州では台風の影響…とか。
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「教育を考えるEdu-Garden」というサイトの「堺市・O157集団食中毒事件」のページに、次のような文章が掲載されています。
●1996年7月13日午前、堺市内の医療機関から堺市役所や保健所等に対し、「下痢や血便等の症状を訴える小学生を診察した」という情報が次々と寄せられた。堺市は小学生の集団食中毒を疑って調査を開始し、1996年7月13日午後3時に環境保健局長を本部長とする堺市学童集団下痢症対策本部を設置した。7月14日、患者の検便から腸管出血性大腸菌O157を検出、食中毒の原因菌と断定。患者数は日を追うごとに増加し、市南部を中心に、小学生児童・教職員やその家族など約9500人が被害に遭い、うち3人が死亡した。(後略)
痛ましい事件から、ちょうど10年。事件が起こったときは議員を辞めていたのですが、全国に流されるニュースに接しながら、原因究明や被害者の方々の回復を願っていました。
今朝は、地下鉄・新金岡駅C出入口で街頭活動。出勤される方から、「定年後、きっと活動を手伝わせて下さい」とうれしいお言葉。ほかにも、さまざまな激励をいただきました。また、きょうの事務所は、市政相談の市民の方々や行政当局が入れ替わり立ち替わり来訪されて、大忙しでした。なお、明朝の街頭活動は、中百舌鳥駅を変更し、JR百舌鳥駅で行います。

7月14日(金)晴れてくれて街頭活動には助かりましたが、お陰で「大酷暑」を我慢です。
JR百舌鳥駅での街頭活動は、私たちがやっている途中で、自民党の「次期市議候補」として売り出し中らしい方がやって来られて、双方が線路を挟んで駅前に立つことになりました。演説中の私のすぐそばに「自民党」ののぼりを持った仲間を配置されたりするものですから、こちらも「間違われていけない」と思って、話の中に「自民党批判」を盛り込みました。
小泉改革が弱い者いじめの“改革”だったと、多くの国民に見え始めたこと。堺市議会では同党の議員らが「今年も海外旅行を実施すべきだ」と主張していることなどを話し、「その政党の政治を志すなら、市民の皆さんにきちんと説明すべきでしょう」と語りかけました。しかし、先方は通路に並んで「おはようございます」の挨拶をしているだけだったとか。当方のボランティア・メンバーは、「お陰で議員活動報告を受け取って下さる方が増えた」と喜んでいました。
事務所に戻ってから、韓国の写真仲間の招待を受けてひと月余り訪韓する息子を関西空港に見送り、午後、市役所へ。昨日のご相談事項などについて担当課の課長から説明を聞き、来週早々、当事者との話し合いを設定しました。また、夕方から所用で大阪市に出かけ、久しぶりに肥後橋や梅田界隈を歩きました。
7月15日(金)毎日、暑さが増しています。梅雨はどこに行ってしまったのでしょう…
ホームページ掲示板への書き込みでPRが届いていた「自立をめざす都市自治体フォーラム」を聴講するため、猛暑のなか、JR堺市駅前の会場まで自転車で出かけました。主催は「大阪自治体問題研究所」で、堺市の職員労働組合も力を入れている様子でした。フォーラムは2回目とのことですが、「地方交付税改革・自治体破綻法・道州制・住民本位のまちづくりを考える」というテーマに加え、パネリストとして堺市の財政局長が参加するというので、興味が湧いた次第です。
夜は、来月末に市議選が行われる松原市で開かれた「古川一夫を応援する集い」に招かれ、参加しました。古川さんは、1998年と2002年の市議選、01年の補選にも出馬した人ですが、これまでは、どちらというと“自分流”にこだわる人でした。友人としてスピーチを求められた折、参加された市民の方々に確かめたら、過去の選挙で応援した人は2割程度。残り8割は、この4年間の古川さんの活動に興味と関心をいだいて集まられた方々のようです。古川さんも意欲に溢れています。