《2006.4.18〜20》
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※4月17日以前の日記は、前ページに掲載
4月18日(火)朝は少し冷えたものの、気温がどんどん上がって、気持ちのいい日です。
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朝、南海・白鷺駅前で街頭活動では、近くに住む視聴覚障害者のNさんも配布ボランティアに加わってくれました。入口がひとつの小さな駅前で配布者が5人にもなったため、1人は近くの団地の配布へ。お陰で、ご出勤中の方から、「もう家で見て来ましたよ」とのお声も返ってきます。
午前中、議会運営委員会の前に開かれた「非公式議運」では、来年に実施される市議選挙の定数について、正副議長と正副委員長が前回示した53人案を撤回。新たに52人案を提示しました。議長と副委員長を擁する公明党などが前案に難色を示した結果です。それでは、一昨年12月議会での同党の提案となぜ異なるのか…。説明を求めましたが、返答はしにくかったようです。
午後は、新しい資産公開制度に基づく報告書の記入方法について、議会事務局が説明。会派メンバーと共に聞いてから事務所に戻ったところ、うれしい女性客が3人ありました。まず、産休中の事務所スタッフ・鵜澤さんと、12月に生まれたベビー(写真)。その後、シングルマザーとその子どもたちのための運動に取り組んでいる大森順子さん。大森さんのご両親には、学生時代からずっとお世話になってきましたが、母・英子さんが’94年、父・誠人さんは’95年に亡くなられています。生涯、労働運動や政治運動に携われたお二人の遺稿・追悼集「滄海の波紋」をあらてめて紐解いてみました。次の文は、英子さんの日記(1987年)の一部。
●4月20日(月)晴 市議選の不在者投票を投函。夜、長谷川さんの宣伝カーが来て、斉藤忍さんがトイレを借りに寄ったので、堺北分局としてのカンパ一万円を斉藤さんに預けて渡してもうらうよう頼む。
3度にわたる脳腫瘍手術で闘病中の誠人さんを看病しながら、こんなお気遣いをいただいていたのです。
4月19日(水)朝方、小雨のぱらつきを感じたものの、崩れるという予報は外れました。
このところ、町内の方のお葬式が続いています。午後、地域会館でのご葬儀に参列させていだき、夜は自治会館でのお通夜です。ご家族の悲しみをお察しします。そんな事情もあって、きょうは一日、事務所で仕事。たまっていた会計処理や来客応接などをこなしました。また、都市政治研究所の次回勉強会や「ニュース・レター」の発行準備にもとりかかっています。
4月20日(木)この時期になっても「寒の戻り」。セーターや暖房機を再稼働です。
10時から臨時議会。招集されたのは、政令指定都市への移行に伴って設置が必要となった各区選挙管理会の委員とその補充員を選出するためです。あらかじめ各会派間で調整済みの候補者名簿を確認するだけの会議は、わずか10分足らずで終了。もしも出席費用弁償が廃止になっていなかったら、出席議員(きょうは65人)全員に、1人1万円の“日当”が支払われることになったわけです。
午後は、事務所でパソコン・システムのメンテ。先日来お付き合いが深まっている住民グループの紹介で来て下さった方に、およそ6時間かけて不具合を直していただきました。
▲我が家の家族にはあまり評判が良くないビオラですが、私は鉢と調和した色合いが気に入っています。