4月1日(土)我が家の前の持ち主が残して下さった八重椿が、裏路地で咲き出しました。
※3月31日以前の日記は、前ページに掲載
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《2006.4.1〜3》
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きょう、「政令指定都市・堺」がスタートしました。1958年に始まる海面埋め立てによって開発が進んだ泉北コンビナートに、「100万工業都市」の夢を託したころから、堺市にとって政令市は「悲願」だったというのです。しかし、完成したコンビナートは大気汚染公害をもたらし、産業構造の変化とともに重厚長大型の企業は衰退しました。
バブル経済期の地価高騰や市政の停滞から人口下降現象が生まれ、あきらめムードになっていた「政令市移行」が蘇ったのは、合併特例による“タナボタ指定”でした。
「悲願達成」を掲げる人たちの手で近隣市町との合併話が画策され、かろうじて美原町幹部だけがこれに応じてくれたお陰で、この日を迎えたことは確かでしょう。だからこそ、町長などの特別職や町議たちへの“合併後の厚遇”が約束されていたのかもしれません。また、政令市移行を理由として、町議時代の約2倍に報酬を引き上げたのは、それを裏付けるものと言えそうです。その一方、住民の皆さんが求めた「住民投票」は2度にわたって否決され、町議らが署名集めを妨害する動きさえ見られました。そして、合併した途端に、「学校給食がまずくなった」「救急車が来るのが遅くなった」などの苦い思いを、住民の皆さんは味あわされたのです。その上、政令市の市民となったきょうから、介護保険料が55%、下水道料金が27%も引き上げられるという、家計負担の激増を強いられることにもなりました。
旧来の堺市民にしたところで、政令市になることが「悲願」だなど思っていた人が、果たして何人いるでしょうか。議員や市長は、「一般市と違って格が上がる」「そのことによって報酬や給料を上げることができる」「叙勲のランクさえ上がるかもしれない」…などと期待したのでは? それに、政令市として形を整えるための土木・建築工事などで、「利権をあされるチャンスが来る」との思惑をいだく人たちも、きっといるに違いありません。だけど、ほとんどの市民は、自治体の形や“格”ではなく、負担増を招くことなく、どれだけ豊かな市民サービスを受けることができるかという尺度で、市政を評価しているはずです。いま見えているもののほとんどがマイナス評価の要素になるようでは、まったく先が思いやられます。
ともあれ、「都道府県なみになった」と宣伝している権限がほんとうに市民に還元されるものになるのか、これからの職員たちの働きには注目してみようと思っています。
▼昨日、朝日放送TV(6チャンネル)のインタビューを受けて、上記のようなことを話しました。「ムーブ」という番組で、4月3日(月)の「16時50分前後」に放送される予定だそうです。
4月2日(日)朝から雨…。ときには激しく、また雷鳴も伴っていました。
雨の小止みや事務所の軒下を利用して、息抜きのために花々の手入れ。そして、「議員活動報告」の作成にかかりました。
4月3日(月)「昨日メバル釣りに出かけたがシケけだった」と、なじみの昼食店の店主。
その魚料理店で遅めの昼飯を食べながら、菅直人さんが「年齢差別禁止法」を小泉首相に質す国会中継を見ました。堺市議会でも、昨年11月の決算委員会で、視覚障害者ガイドヘパー養成講座の問題に絡めて議論しています。ところで、ABCテレビによる私のインタビューは、きょう午後5時ころから放送されました。私が話した以上に番組がうまく作られていて、堺市の政令指定都市化が持っている問題点を鮮明に伝えていました。お陰であちこちから、「テレビを見ました」、「よく分かりました」とのメールをいただいています。