《2003.7.17〜21》
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※7月16日以前の日記は、前ページに掲載
7月17日(木) 国分寺町のYさんからいただいてきた「フウラン」が白い花を次々と…。
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フウランというのは、関東以西、四国、九州、沖縄のカキやクスノキ、シイなどの樹上や、渓谷の岩場に着生している常緑の多年草。「富貴蘭」とも呼ばれ、江戸時代には大名たちが好んで栽培したそうです。この時期に花を咲かせ、夜にはよく芳香を放つとか。その気品ある花をいとおしみながら、今日は、いつも張りつめている気分を少し安らげました。
明日は、大阪弁護士会が主催する「地方自治体の合併に関するシンポジウム」のパネラーを務めます。
シンポジウムは、午後2時〜5時、大阪弁護士会館6F大ホール。お時間があればご聴講下さい。
7月18日(金) 梅雨に戻ってぐずついた一日。夜には激しい雨も降りました。
大阪弁護士会館の大ホールで開かれるシンポジウムに参加するのは何年ぶりでしょうか。堺市議に初当選して間もないころ、取り組みはじめていた「情報公開シンポ」に招かれ、発言したことを思い出しました。「20年前だったら、まだ弁護士になってませんでしたね」…この行事を担当された「行政問題委員会」の弁護士さんのつぶやきです。合併問題に関するアンケートや実地調査も行われるなど、地道な弁護士会活動に頭が下がります。
今日の「合併シンポ」への参加者は、開会時の主催者発表では131人。自治体職員59人、議員28人、一般25人、弁護士19人という内訳でした。感想アンケートに目を通すと、私の発言については、「合併推進室」などに所属する職員からの評価が厳しかったようです。他方、一般参加者(合併問題に関心ある市民?)らしき方々からは拍手をいただきました。ともあれ、予定時間を半時間ほどオーバーしたのに、熱心にご聴講いただいたシンポジウムでした。
7月19日(土) 梅雨空が続きます。福岡では豪雨による冠水被害のニュースも…
このホームページをご覧の方で名前を知る人は少ないでしょうが、戦前からの労働運動家・原全吾さんが一昨日亡くなられました。私にとっては、学生時代に運動の大先輩としてお目にかかって以来、何かとご心配をかけてきた方です。連絡の手違いで葬儀には参列できませんでしたが、いつも物静かにニコニコと見守ってくださる原さんの前で生意気な議論をしていたころを思い出しながら、ご冥福をお祈りしました。内外の社会主義思想研究で知られる石堂清倫さんがこんな文章を書いています。「『種子島から来た男』の著者原全吾は、逮捕されても何かと手管を弄し『転向』を装って釈放をかちとり、帰ってすぐ活動をつづけている。それも2回もそのようにすることができた」。1999年に発表された「『転向』再論…中野重治の場合」の一節で、その石堂さんも、2001年に97歳で亡くなられました。
7月20日(日) とうとう九州各地で、恐れていた豪雨被害が出ました。
スポーツ少年団の剣道大会で、大浜体育館へ。各団体とも会員数が減り、また、参加団体そのものも減少しています。大会への参加者数は少なくなっているのですが、基本試合やリーグ戦による予選など、関係者の方々の工夫が活かされた大会でした。
学生時代以来の友人S君が入院したと聞き、市立堺病院へ見舞いました。ナース・ステーションで病室を確認すると、「今日は外泊されています」とのこと。重症でなくてよかった…。S君はいま、ホームレス支援のNPOを立ち上げるため、走り回っています。