7月14日(月) 2日ぶりに戻った大阪は、涼しくて疲れが癒されました。
※7月13日以前の日記は、前ページに掲載
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《2003.7.14〜16》
「アクション日記」のはじまりへ
高知からの帰路、香川県の国分寺町に立ち寄って、昨年の偶然の出会いから世話になっているYさん宅を訪問。ご自慢のカトレア栽培の様子を拝見し、家庭菜園でとれたてのゴーヤやナス、キュウリなどのお土産もいっぱい頂戴しました。また、ご案内いただいて香川県庁へ。最上階の展望ホールで、高松市内や瀬戸内海の大パノラマを楽しみました。高松市の人口は33万人余り。「県都」としての賑わいや風格が見えます。人口33万人に少し足りない高知市も同様でした。香川県庁と同じ21階の市庁舎から展望できるわがまち堺市の人口は、両市の2.4倍(79万余)。しかし、はたして「政令指定都市」となれる客観的な条件を備えているのでしょうか。
7月15日(火) 今日も、気温がそんなに上がらず、過ごしやすい日でした。
堺市議会の政令指定都市対策特別委員会が開かれました。「堺市を政令指定都市にする」という話は、1961年に当時の市長が「100万都市構想」を発言して以来の課題です。1983年には「指定都市準備室」まで設置したのですが、81万人余りに達した人口の減少傾向が続いて、あきらめムードも漂い始めていたようです。ところが、2001年に示された国の市町村合併支援プランで、「大規模合併があれば政令市OK」という方針が出て、再び息を吹き返しました。
現市長の選挙公約にも「政令指定都市の実現」が掲げられ、隣接する大阪狭山市、高石市、美原町に対して「合併」の秋波を送ったのです。しかし、大阪狭山市の市長や議会には冷たくあしらわれ、高石市では意を通じようとした市長が選挙で大敗した上、住民投票で73.3%の市民が「合併反対」の意思を表しました。残った美原町とは何とか法定合併協議会の設置に漕ぎ着けていますが、同町住民たちは「最終意思決定の住民投票」を求めています。
堺市議会の多くの議員たちは、なぜかこの「政令市」というマジックに酔っていて、先の議会中には「千載一遇のチャンス」との発言もありました。今日の委員会でも、「一気呵成に政令市に…」なんて主張も聞かれたのですが、相手自治体の住民の皆さんの思いなどを推し量ると、少し軽きに失しないでしょうか。
あらためて「市町村合併の大義」を確認した上で、美原町の住民アンケートの実態や、町長発言に対する住民の反応などに基づいて、「合併に頼って政令指定都市化を進めるのは誤りではないか」と質しました。市や町の合併は、双方の自治体の「住民意思」によって決めるべきもの。それに、堺市民は、どれほど「政令市」を望んでいるのでしょう。首長や議員の思惑を先行させて声を張り上げるのは如何なものか、少し頭を冷やして考えるべきです。
7月16日(水) 梅雨の晴れ間。しかも、しのぎやすい日が続きます。
ワンルーム・マンションの建設をめぐる相談が続き、午前中に担当課と対策を協議しました。
午後からは、美原町との「第2回法定合併協議会」を傍聴。用意された議員席は遠慮して、一般傍聴席から会議の様子を観察しました。事務局お膳立ての案件と資料を審議するだけなのに、議事の混乱がしばしば。また、美原町側の委員が突然立って、前回発言の訂正ペーパーを読み上げたり、しばらくして、再び“本音”らしき発言をするなど、興味深いシーンも見られました。その一面、堺市側委員の多くがほとんど発言しないのは、「ひたすら、合併実現へのスケジュールをこなすだけ」との“深い配慮”に基づくものなのでしょうか。
傍聴者はおよそ70人。ほとんどは美原町の関心ある住民と見受けましたが、なかには富田林市役所からの偵察チームも来ていたようです。異様に思えたのは、傍聴席を取り囲むように何人もの堺市職員がものものしく配置されていること。2時間あまりの会議中ずっと立ったままで、さぞやお疲れのことでしょう。ご苦労様…。