「アクション日記」のはじまりへ
6月25日(水) 午前中に晴れ間が広がり、室内の洗濯物をベランダに干し変えました。
※6月24日以前の日記は、前ページに掲載
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《2003.6.25〜26》
朝一番、市民相談にみえた方とともに近くの北支所へ出向き、問題を解決。午後からは、「堺市・高石市消防組合」の議会に臨みました。
いつもなら、この議会で発言する議員などほとんどいないのですが、今日は、民主党の堺市議が質問に立ち、「全国の政令指定市や中核市で、消防組合組織を持っているところはあるか」と質しました。そして、「堺市が政令市になったら消防局をつくるのが最適」との見解を述べました。つまり、「一部事務組合としての消防組織を解消せよ」との主張です。
実は、このような主張は、高石市の市長選挙で、「堺市との合併反対」を掲げる新人候補が現職市長(自公民推薦)をダブルスコアで破ったころから聞かれ始めました。市長選と同時に実施された住民投票でも、高石市民の「合併反対」の意思は明確になっています。ただ、高石市議会では合併推進派が多数を占めていて、新市長の公約実行を妨害するなどの抵抗を続けているのです。後で聞いた話ですが、傍聴席には数人の高石市議が陣取っていたそうで、もしかしたら、堺市議の発言は彼らの意向を受けてのことかもしれません。
それにしても、その発言内容は、まるで、初めて出席した消防組合副管理者(高石市長)への嫌がらせです。また、「合併に反対したから、もう消防組織の仲間からはずすぞ」という脅しでもあります。日頃は、比較的バランス感覚のとれた議員だと思っていた人の意外な発言でした。もちろん、そのまま聞き流すわけにはいきません。すぐさま議長に発言を求め、予定していなかった演壇に登りました。
私が質問したのは、「それでは、政令市や中核市になる際に、それまで組織していた消防組合を解消した自治体があるか?」ということ。もちろん、調査をしていない消防当局に答弁できるはずがありません。つづけて、「このような議論を、堺市議会ではなく消防組合議会で行うことは適切だろうか」、「政令市をめざす堺市の議員が規模の小さな自治体やその市民をいじめるような主張をするのは、堺市そのものの品格を問われる」と論じ返しました。
あらためて考えてみると、10年ぶりのカムバックを果たし、初めて臨んだ5月〜6月の議会で印象に残ったことは、一部の議員たちのお行儀の悪さや、はしたない言動でした。適切とは言い難いヤジ、またその応酬風景の表層だけをとらえた浮薄な論評などを、昨日の最終本会議での討論で批判しました。公式の本会議や委員会で堂々と議論し合うことをせず、“数の力”を頼りに自己権益を守る議員の姿は、きっと市民の皆さんの議会への失望感を高めることでしょう。このホームページの掲示板に投稿があった「堺市を思う心は同じ…」という議員の主張に対しても、「ならば、それを形にして、市民が知りたがっている“会議出席日当1万円”についての姿勢を明らかにしてほしい」という注文が、同じ掲示板に寄せられています。
「ひとのふり見て、わがふり直せ」…。私自身も、胸に手を当てて考えてみます。今日は、読みづらい、長い日記になりました。
6月26日(木) めずらしく、雨はなく、湿度も低い、さわやかな一日でした。
締め切りが迫った雑誌論文の執筆に取り組むため、終日、事務所で過ごさせていただきました。数本の電話とメール以外は幸い来客もなく、執筆環境は整っていたのに、なかなか筆(と言っても、向かっているのはキーボード)が進みません。書斎のソファーで資料を見ているうちにうたた寝したり、夕食後も阪神・広島戦をTV観戦しながら、7連勝を逸したことをかすかな記憶に残したまま、夜半まで眠ってしまいました。昨年12月から準備に入った選挙、当選後2か月にわたった議会と、ほとんど緊張感を持ち続けた半年間…。やっぱりくたびれたのでしょうね。力が抜けた一日でしたが、お陰で夏風邪の症状もすっかり軽くなりました。