「アクション日記」のはじまりへ
《2003.3.17〜20》
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※3月16日以前の日記は、前ページに掲載
3月17日(月) 早朝に雨も上がり、ずいぶん暖かくなりました。
昨夜、この日記を書いてから、気がかりだったホームぺージの更新にとりかかりました。まだ十分ではありませんが、とりあえずアップロードしています。
そして、眠い目をこすりながら新金岡駅で朝の街頭活動。夕方は堺東駅です。朝から夕方までお付き合い下さったお二人のボランティアに加え、何人もの方々がお忙しい時間を割いてそれぞれの駅に来て下さいました。「ニュース・レター」を受け取った方が話しかけて下さる言葉も、その内容にだんだん熱がこもってきて、私たちの訴えが届いていることを実感します。皆さんの熱意を無駄にすることがないよう、必死で走り続けなければいけません。
ところで、いよいよイラク攻撃の開始に向かうブッシュ政権と、「追随」という結論しか持ち合わせていない日本政府の動きが不安です。今日の街頭演説には、このことを織り交ぜました。
3月18日(火) 早朝、小雨がぱらつきましたが、街頭活動に支障はありませんでした。
いよいよ戦争への道が避けられそうになくなって、「こんなことでいいのだろうか」とつらい気持ちで北花田駅前に立ちました。堺市政のことよりも国連による平和維持システムの破綻や、この事態の下での日本政府の役割などについての話に熱がこもったような気がします。先日の中学校卒業式での答辞の内容を披露しながら、訴えました。もういちど繰り返します。「戦争の世紀から平和の世紀に変わったはずの21世紀が、再び戦争の世紀となることがないよう努力したい」…15歳の中学生の言葉です。
街頭活動を終えて事務所に戻ると、先日来、数回にわたる取材を受けた某紙記者から電話が入りました。「連載中の特集の次回に掲載予定だったが、イラク攻撃の開始を前にして、紙面構成の都合で連載は打ち切りになった」とのこと。楽しみにして下さっていた方もあるのに、残念です。
3月19日(水) 冬を越したパンジーやビオラが、鉢からこぼれるように咲いています。
今朝は、初めてのJR浅香駅です。数えることができるほど少ない乗客数で、配布ボランティアの皆さんも手持ちぶさた気味でした。事務所には、いつものボランティアメンバーのほか、上野芝向ヶ丘町のTさん母娘が来て下さって、滞っていた事務作業がかなりはかどりました。それに小学生時代に剣道クラブに属していた若者K君も現れて、市内まわりの車の運転を買って出てくれたので、ずいぶん楽をしました。また、夜は、大学時代の友人が、昨年の綾部市議選をしくじった川端和行さんとともに来訪。元気を取り戻した川端さんに会えて、うれしかったです。
3月20日(木) 暖かく希望の季節が予感されるのに、失望のニュースがたくさん…
ついにイラク攻撃が始まりました。この特大ニュースの陰で、徳島県知事の不信任、美原町住民投票条例の委員会での“実質否決”など、文字どおりどさくさ紛れの事件が起こっています。県知事不信任決議は、「改選期を迎え、解散されても結果は同じ」という議員たちの打算によるもの。また、美原町議会は、永住外国人の投票権を認める「修正案」を可決しながら、「修正部分を除く原案」を否決するという前代未聞の“愚かな結果”を総務文教委員会がつくりました。議事運営のイロハもわきまえずに住民の願いを葬ろうとする議員たちが、せめて本会議までに不手際を修復することを期待します。
今朝は、新金岡駅の、日頃立たない2つの出入口で街頭活動を実施しました。