※12月12日以前の日記は、前ページに掲載
《2002.12.13〜15》
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12月13日(金) 気温は下がりましたが、サザンカの花がたくさん咲きだしました。
「アクション日記」のはじまりへ
先日お届けした市政カムバックの決意とご挨拶に、たくさんのご返信が戻りはじめました。9年間の年月を感じないほど、暖かい励ましのお言葉をいただいて、感激しています。「事務所の仕事や印刷物の配布なども手伝います」とのお申し出を頂戴していますのに、こちらの準備が追いつかず、申し訳ありません。
ところで、美原町の住民の方から「選挙で無投票当選となった町長が、堺市との合併は自分が決めると言っているけど、そんなことができるのですか?」との質問を受けました。「やっぱり住民投票で決めてほしい」とのご意見もお持ちのようで、新たな住民運動が起こりそうです。
このこともあって、高石市で「堺市との合併反対」を唱えている阪口伸六市議に電話して、高石市の現状も聞きました。堺市の幹部や議員たちは、もしかしたら相手自治体の住民の思いや立場を考えないで、自分の側の都合だけで事を進めようとしてはいないでしょうか。そんなにしてまで“政令指定都市”になることが必要なのか? また、堺市民はほんとうにそれを望んでいるのか? と、疑問に思えてきました。
合併論議は、なによりも住民にきちんと公平な情報を提供し、住民投票によってその意思を確認して行うべきでしょう。それは、堺市民にとっても同じです。それに、合併や政令指定都市化に伴う甘い汁をねらっている利権業者や議員、これと結びついている幹部たちの動きも、しっかり監視しなければいけないと思い始めました。
12月14日(土) 今日は、赤穂浪士の吉良邸討ち入りから300年に当たるそうです。
活動を再開した「長谷川俊英推せん会」の3回目の会合が開催されました。毎回、新しい参加メンバーが増えて、にぎやかになっています。そして今日は、年内の作業計画と担当者、それに年明けの集会日程などが決まりました。私たちの“討ち入り”は来年の春です。準備期間は4か月しかありませんが、熱心に加わって下さる“同士”とともに、何とか本懐を遂げたいと思っています。
12月15日(日) 比較的、暖かくて穏やかな一日でした。
最近、内外の政治や社会の動きに大きな危機感を抱いています。何かを発言し、行動するための場がほしい…と思い始めたことが、堺市政へのカムバックを決意した動機のひとつです。ところが、言いたいことがなかなかうまく伝わらないというもどかしさも感じています。この人の話からヒントが得られるかと思って、辺見庸さんの講演を聴きに行きました。
「戦後民主主義は安楽死して、醜悪な死体を晒している。その原因は、それを構成する個体が鍛えられなかったからだ」「鵺(ぬえ)のような全体主義、正体の見えない、責任主体のない動きに対して、お互いに“個”になったところで、最後までギブアップしないで、ぐずぐず抵抗しよう」…。500席の会場に補助いすを入れても立ち見がでるほどの聴衆に響くことばです。
辺見さんの秋田での講演には1100人、鹿児島では“森進一以来”と言われる750人が集まったとか。「自立分散的に各地で何かを表現している」「やがて集合して、大きな広がりになる」「自分のできる表現で、きなくさくなっていく風景を変えよう」と、辺見さんは語りかけます。
そんなにうまく表現できないとしても、「やっぱり発言し続けなければいけない」という思いを十分に抱かされたお話でした。それに会場では、懐かしいお顔を何人も拝見しました。