3.政治活動への参加
地域活動の仲間たちに推されて37歳で堺市議となり、14年間を務めました。議員活動では「ただの市民の政治参加」を標榜し、保革を問わない、市民意識とかけ離れた特権感覚との闘いから始まりました。議会公開、情報公開、住民参加をめぐる議論を繰り返し、日本で初めての「政治倫理条例」も直接請求の運動で誕生させることができました。また、議員としての基本的役割である市政監視に努め、不適正な行政執行にメスを入れ、さらに、インフルエンザ・ワクチン集団接種の中止、「体罰防止マニュアル」や「放射線施設災害警備活動マニュアル」の作成など、いくつもの改革を実現しました。
(詳しくは、長谷川俊英ホームページ「14年間の市会議員活動」をご参照ください。)
1993年の総選挙では、「自民党政権に代わる新しい政権を!」という大きなうねりのなかで、江田さんや菅さん、それに細川護煕さんなどに誘われて立候補を試みましたが、力不足で皆さんの期待に応えることができませんでした。いまもなお、一緒に運動に参加し、お力添えをいただいた方々に申し訳ない気持ちを抱き続けています。
幸いにも、「地方議員をプロ化すべきではない」との信念の下、議員就任後も「公務休職扱い」となっていた元の職場に復帰したため、私自身の生活には不安を覚えることなく過ごさせていただいています。また、勤務の傍ら、政治活動を継続すべく「都市政治研究所」を創設し、各地に増え始めた、いわゆる「市民派議員」の皆さんとの勉強会や政策づくりに励んできました。