長谷川俊英14年の市会議員活動  (6ページ)
危険なインフルエンザ・ワクチン
父母らの運動で、接種率を下げ、学校での集団接種を中止させる。
1987年12月議会で、中学校でインフルエンザの予防接種を受けた生徒が頭痛や吐き気を催し4日間も入院したのに、補償説明が行われなかったことを追及した。その前年から、予防接種について調べていたが、効果が立証されていないワクチンが毎年全国の学童たちほぼ全員に接種され、死亡事故さえ起こっているという問題点が分かってきた。しかも堺市では、医師への報酬が1人1回の接種を単価として定められていたため、1人の医師が数百人の子どもに接種しているという危険この上ない事例も明らかになった。まさしく、異議を唱える術を知らない子どもたちへの人権侵害だ。親たちだって、安全だと信じ切っていた。(1986.9) (1987.12) 
要は、医師会と製薬業界のために膨大な税金が注がれ、子どもたちを危険にさらしてるだけではないか。他方、前橋市の医師会はすでに接種中止を決めていた。それに、子どもの健康を真剣に考えている専門家たちは厚生省の見解を批判していた。これらの情報を集めて、市議会で堺市の医師たちに論戦を挑んだら負けなかった。 (1988.3) (1988.6)
それでも、医師会への配慮からか、なかなか接種中止には至らない。そこで、子どもの健康に関心を持つ父母らと勉強会を開いて仲間を増やし、接種前日の校門で危険性を訴えるビラを配った。その結果、接種率がどんどん落ち込んで、接種は中止。その後、厚生省も集団接種についての方針を変更することとなった。 (1990.10)  (参考情報=ここをクリック)
私たちの暮らしのそばに隠れているいくつもの“危険”を発見!!
●大阪府施設内に、放射性廃棄物を24年間も無届け貯蔵
現在は府立大学の施設になっているが、当時は府大の敷地に隣接して府立放射線研究所があった。この研究所内に社団法人日本アイソトープ協会の貯蔵庫があって、放射性廃棄物が保管されていると聞き見に行った。倉庫の中には何十本ものドラム缶が並べられ最終処分を待っているのだが、調べていて、火災予防条例で義務づけられている届出が行われていないことに気が付いた。この法人は半ば公的なもので、府放研が管理に当たっていた。ところが、担当者は条例の存在すら知らず、24年間も条例違反が続いていた。放射性物質の火災は水をかけると危険なこともあって、あらかじめ所在や状況を把握しておくことが必要だったのに…。議会での指摘後、消防本部が立ち入り検査を行い、是正された。 (1988.12)
●府道建設予定地から放射線(酸化チタン廃棄物)
各地で酸化チタン廃棄物の処分が問題になっていた。堺市内に該当場所はないかと調べていたら、かつて処分場だった土地が府道建設予定地になっていることが分かった。工事はすぐそばまで進んでいて、掘り返せば放射性物質が拡散されるおそれもあった。議会で、埋め立て状況の調査と安全な工法採用を迫ったが、この問題では堺市の対応も早かった。 (1990.11) 写真は、現場でのボウリング調査
●走る核燃料…放射性物質の安全輸送と消防活動マニュアルの作成を迫る。
堺市から少し南に位置する熊取町に核燃料の再生工場があり、この工場に搬出入される核燃料の輸送は秘密裡に行われている。万一交通事故などがあれば、輸送ルートにある市民が放射線被曝の危険にさらされる。事故に対処する消防職員だってそうだ。議会での議論で、輸送計画の通知を求めることや消防活動マニュアルの作成を提案した。堺市からの通知要求にも工場側は応じず、問題は残った。しかし、「放射線施設等の災害時における警備活動要領」(マニュアル)が完成し、防護服や線量計など必要な装備も関係消防署に備えられた。 (1988.12)
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