午前中、昨年末の市民から苦情があった職員対応などについて、北区役所から説明を受けました。午後も事務所で仕事。パソコンへのソフト取り込みなど、作業環境を整えました。また、その間、市役所各課から、電話での報告を受けて協議。
ほぼ一日、事務所で仕事。市当局からの連絡を電話やメールで受け取り、目を通しました。また、午後は市民相談に来訪される方があって、対応させていただきました。
なお、視聴覚障害のある相談者の方をご自宅まで送った帰路、満開のロウバイを見ました。
午前中からお昼過ぎまで登庁。年末にご相談を受けていた案件について調査し、関係各課からの報告を受けました。
昨日、発災29年目を迎えた阪神・淡路大震災と1月1日に発災した能登半島地震のニュースを見ながら、改めて木割大雄さんの句をかみしめました。
木割さんに初めてお目にかかったのは、大震災より3年前の1992年。「議員が行けば観光も視察になる」との迷言も飛び出した尼崎市議会の空出張問題で、神戸新聞が催した座談会の席でした。「虎酔」という柳号でスポーツニッポンにタイガース応援川柳を掲載されていた木割さんは、尼崎市民として参加。私は、日本で初めての政治倫理条例を制定に持ち込んだ堺市議として、招かれました。
以来、木割さんは私の活動に大いに興味を持たれ、ずっと注目してきてくださいました。今回送っていただいた色紙に添えられていたお手紙にも、次のように書いてくださっています。
非所属クラブという名告り(注:なのり)の〈非〉が好きです。〈不〉よりも意志が強いと思うからです。一人でもクラブの〈非〉です。
私のような虚業は、人に非ずの俳人でありますから、同感できます。身体が動く限り、つづけて下さい。
木割さんの洒脱な生き様に憧れているのですが、「弟子入りは、もっと遊び心ができてから」と突き放されました。きっと、私にそんな才能がないことを見抜かれているのでしょう。