堺市情報公開条例(2004.4.1施行)の前身となる「公文書公開条例」が議会で審議されたのは、1990年の12月議会。堺市で最初の情報公開制度が成立する際、市議会の多数会派が抵抗して議会を実施機関としない条例案が提案されたのです。これに対して、私と共産党議員団が議会にも適用する修正案を提出。総務委員会での激しい攻防で、審議は長引きました。右の記事の写真の時計は「午前3時」。また、右端で討論しているのは私で、この後の強行採決で私たちの修正案は否決されました。
もちろん、その後の改正で議会も実施機関となるのですが、昨日の大綱質疑で記事を披露しながら、「隔世の感がある」と語りました。また、制定14年後にこの条例は廃止され、新しい情報公開条例が誕生。その第1条に規定された「目的」について議論を展開しました。
●堺市は市政情報の「一層の公開」を図っているか?
第1条後段に、「市の保有する情報の一層の公開を図り、もって市政について市民に説明する市の責務が全うされるようにし」との一文があります。今回の各事象を点検すると、職員たちがこの規定を重視しているようにはとても思えません。私の指摘を受けて、「要綱のホームページ掲載」などの答弁をしたのですが、大阪市は10年前に「オープン市役所」を掲げ、要綱・要領の公開に取り組んでいます。橋下徹市長が2011年12月の就任直後から指示した結果であることを紹介し、永藤市長に「市民の知る権利を守り、市民がアクセスしやすい情報公開制度をつくることを率先して提起してはどうか」と質問。市長は「ご指摘いただいた内容をはじめ、基本的には市の持っている情報をどんどん表に出すことが必要だと考えている。行動が伴うように取り組みを進める」と答えました。
●情報公開担当部局も慌てて「要綱」などをホームページ掲載
昨日の本会議を終えて帰宅すると、情報公開条例の所管課から「今回の指摘を受け、ホームページに情報公開の関連規程を掲載した」とのメールが届いていました。掲載したのは、情報提供の実施に関する要綱、情報公表の実施に関する基準、審議会等の会議録等の作成及び公表に関する基準、市政情報センターにおける審議会等の会議の開催の周知に関する基準など。この事態こそ、「一層の公開」という情報公開条例の目的が軽んじられた証左です。
市役所も市議会も、いまペーパレス化の取り組みを進めています。情報がデータ化されて見えにくなるのではなく、市民があらゆる情報にアクセスできる仕組みを確保しなければなりません。要綱なども体系化し、市民が必要情報をたやすく得ることができるシステム構築が必要です。
なお、今日は大綱質疑本会議の最終日。午後、比較的早い時間に終了し、決算委員会や常任委員会での手続き的な決定も行われました。
さて、今日発表された大阪府の新型コロナ新規感染者は3004人。ついに3千人を超え、過去最多です。亡くなられた方も12人と増加しています。また、堺市の新規感染者は213人(亡くなられた方はゼロ)で、8月25日(226人)に次ぐ2番目の多さとなりました。