《2021.8.1》
(2505)

※7月31日以前の日記は、前ページに掲載

8月1日(日)26.5℃~34.0℃。夕方の雨マークに期待したのですが、遠くの雷鳴だけ?

一昨日、堺市の新型コロナ対策本部会議が開かれたました。提出された資料を見ると、現在の新規感染者の状況は、第3波のピークだった1月上旬の数字に達しています。そのとき、1回目の緊急事態宣言が発表され、新規感染者数は下降。明日、4回目緊急事態宣言の期間に入りますが、同様の効果を発揮してくれることを願うばかりです。
なお、ここ三日間の新規感染者は、30日=大阪府882人/堺市56人、31日=大阪府1040人/堺市64人、1日=大阪府890人/堺市55人。亡くなられた方は各日ともゼロでした。
●「すたこらサッチャン」
昨日の江田五月さんの葬儀で、喪主の江田京子さん(故人の妻)は子どもの頃から何事にも懸命に取り組む五月さんが「すたこらサッチャン」と呼ばれていたというエピソードを語られました。子ども時代は大いに遊び、中学時代は書道、高校時代は水泳(古式泳法)、大学で学生運動、卒業後は裁判官、少数政党の国会議員、科学技術庁長官(細川内閣)、参議院議長、法務大臣・環境大臣(菅内閣)も懸命に務めたとのこと。父・三郎さんの「貧農の言葉は常に正しい」との教えを大切にして、いつも社会的に弱い立場の人々への気遣いを忘れなかったとも。
通夜式や葬儀式の開式前、京子さんと直接お話しする機会が何度もありました。同行した私の妻が「お互いの結婚式の日が同じだった」と記憶していて、京子さんに確かめました。私の記憶からはまったく遠のいているのですが、私たちの式の案内状を受け取った五月さんから「同じ日だから出席できない」との返信があったそうです。
なお、東京での結婚式を済ませた江田夫妻が岡山でも再度挙式するために帰郷する折、大阪駅近辺で4人で歓談したという話など、妻と京子さんの会話は弾んでいました。友人らが準備してくれた私たちの結婚式は1967年3月26日。1964年10月に開業していた東海道新幹線から、江田夫妻が山陽本線に乗り換えるまでの時間を調整して機会を作ったのでしょう。

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