《2020.10.4~5》
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※10月3日以前の日記は、前ページに掲載

10月5日(月)朝のうち不安定な天気でしたが、午後から晴れました。22.5℃~26.0℃。
10月4日(日)奈良県明日香村は全日曇り空で、19.0℃~26.5℃。半袖Tシャツでした。

今週半ばからひと月は、駅前議会報告と「議員活動報告」の地域配布に追われます。その前に一息つきたいと思いたち、明日香村へ。南阪奈道路を経由して1時間で亀石駐車場に到着し、レンタサイクルを借りました。甘樫丘では麓に駐輪して展望台へ。その後、明日香村埋蔵文化財展示室、飛鳥寺、岡寺、石舞台古墳を巡って、夢市茶屋で古代米の昼食。そこから、文化財展示室や石舞台のガイドさんに勧められた稲渕棚田に向かい、相当のアップダウンがある山里の道を電動アシストで乗り切りました。
滞在およそ7時間。百舌鳥古墳群を自転車で巡って、これほどの爽快感があるか。考えさせられるところです。

ともあれ、文書によると、1986年11月28日の夜8時、日本消費者連盟の川村暁雄さんが事務所に来訪されて話を伺った私が、12月初旬に堺市教委に対して学校施設等でのアスベスト使用の実態調査を依頼。「多分ありまへんけど、まあ調べときまっさ」と答えた市教委施設部次長が、真っ青になるような実態が翌年次々と判明することになりました。
市立学校13校(小学校8校・中学校5校)だけでなく、科学研究所、日高少年自然の家、さらに老人福祉センター、下水処理場、清掃工場、消防本部や出張所、市民会館、万崎住宅など合計24の市施設で吹付アスベストの使用が確認され、堺市は対策工事を実施しました。
また私は、それらの施設名と建築年月、石綿の使用場所・面積・種類、改修工事の実施状況をまとめた文書も、「吹付石綿調査表」(1987.12.1)として作っていたのです。
古川さんのお話によると、これらの文書はアスベストで健康被害を受けた人々に懸命に対応されている医療関係者の方が保管されていたそうで、私が調査表を作成した以後の状況についても手書きで加筆されています。30年前のアスベストへの取り組みを、この資料から正確に思い起こすことができました。
今朝は早起きし、夜が明ける前に大泉緑地の周遊路を歩き終えました。木彫りゴリラがアマビエから変身。ただし、暗くて写真撮影はあきらめました。昼間は、一日中事務所で仕事です。

先日、中皮腫・アスベスト疾患・患者の会の古川和子さんにお目にかかった折、32年前に私が作った「アスベスト問題についての堺市に取り組み」と題する文書を持参され、驚きました。
文書には「1988.7.15まとめ」とあり、古い手帳を確認すると、同年7月16日に市立労働センターで「アスベストシンポジウム」を開催した記録が残っています。きっと、このシンポでの発表のためにワープロで作成したと推定されます。この文書は私の手元になく、文書を作ったこともシンポジウムの内容も、すっかり記憶が薄れてしまっています。

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