《2018.10.27~28》
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※10月26日以前の日記は、前ページに掲載

10月27日(土哀悼:小郷一さん。同じ年に生まれた元堺市議とのお別れはつらい。

元堺市議・小郷一さんが逝去されたとの知らせが届き、驚きました。小郷さんは、昭和アルミ労組の組合運動を経て堺市議となった人ですが、当選は私よりも1期後で、初当選時は社会党公認だったと記憶しています。世話好きで人望を集め、2001年5月~2002年4月には市議会議長を務められました。
もっとも、その頃私は議員を辞めて桃山学院大学に復職しており、議長としての仕事ぶりに接していません。ただ、2003年のカムバック後に接した、議運委員長などの立場で議会各派の調整に当たられた仕事ぶりは、小郷さんならでははものでした。
政治主張が異なることはありましたが、組合運動で培われた感覚は市民運動を基礎とする私と通じるものがあり、同い年ということもあって、親しくしていただきました。思えば、現在の堺市議には、私以外、「運動」の経験者はもういなくなったのではないでしょうか。

朝一番、若いご夫妻が深刻な表情で市民相談に来られました。お話を伺い、明日、市教委などの関係先と協議する旨をお伝えしたら顔色がちょっと明るくなりましたが、責任の重大さを感じます。その後、昨夜の通夜式に続き、正午から営まれた小郷一さんのご葬儀に参列。多くの方々が弔問し焼香される様子は、故人の人柄を忍ばせるものです。

東教授は「北部地域整備事務所アスベスト飛散の検証に関する懇話会の委員、また、古川さんは堺市のアスベスト対策にも様々な働きかけをしておられる方で、それぞれ、とても分かりやすい話をしていただきました。
講演終了後の質疑応答では、「堺市はなぜ、2014年に麻袋再生工場でのアスベスト被曝が明らかになったそのときから対策推進本部のような取り組みをしなかったのか」という鋭い指摘ありました。他方、「大阪市と比べて、堺市のアスベスト対策は一歩進んでいる」という大阪市民の方の発言もあり、クボタ工場によるアスベスト被曝の被害者救済などに取り組んでいる尼崎労働安全センター事務局長の飯田浩さん(元尼崎市議)は、「行政がこのような催しをしているのはいいことだ」と話していました。
さて、明朝から、また駅前議会報告を続行します。今週の実施予定は、29日(月)JR百舌鳥駅、31日(水)JR堺市駅、11月1日(木)JR浅香駅です。

10月28日(日12.7℃~19.6℃。秋晴れが戻りましたが、気温は20℃を切りました。

午後は、市役所本館大会議室で開催された「アスベスト講演会」を聴講。まず、近畿大学医学部の東賢一准教授が「アスベスト(石綿)の健康被害について」、続いて中皮腫・アスベス疾患・患者と家族の会の古川和子さんが「それぞれのアスベスト禍」と題して講演。また、堺市保健医療課課の中川係長が「市民の健康を守る堺のアスベスト対策」について報告しました。

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