昨日の大綱質疑を締めくくる際、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)が『この国は原発事故から何を学んのだか』の「おわりに」に書かれた一節を紹介しました。「原子力の問題は、すべての課題に通底している差別の問題だと私は思います。そんな原子力を廃絶させるためには、多くの人の力が必要です。先の戦争の時がそうだったように、巨大な流れに抵抗するには命を懸けなければならない時もあります…」。最近、小出さんからいただいたメールには、「私にとっては今は戦争です」と書き添えてありました。
福島第一原発の事故により、3年経っても避難生活を余儀なくされている13万5千人は、堺市西区の全人口に匹敵します。もし仮に、原発が堺市の臨海部にあって事故を起こしていたら、人口84万人の堺市とその周辺都市がどのような被害にあっていたでしょうか。『NHKスペシャル』の「取材で浮き彫りになったもの」として、柳沢キャスターは「国はもちろんのこと、私たち一人ひとりも自らのこととして、いま厳しく問われている」と結びました。
●それでも行きたい“海外旅行”…公明・維新・ソレイユ・自民・共産が「賛成」を表明
さて、先日来「手を変えた海外旅行」としてお知らせしているウェリントン市(ニュージーランド)に議員を派遣することについて、昨日の本会議終了後に議会運営委員の協議(非公開)が行われました。そもそのこの問題を非公開で議論すること自体が納税者をバカにした行為ですが、その席上、公明党、大阪維新の会、ソレイユ堺、自民党・市民クラブ、共産党は「賛成」との意思を示したそうです。ただし、公明党と共産党は「参加しない」旨も表明。さすがに市民の皆さんの目が気になるのでしょう。ともあれ、参加議員は、維新、ソレイユ、自民の中から選ばれることになりました。それぞれの会派内で人選を行い、6月20日の議会運営委員会で確定。24日の最終本会議に派遣議案が提出されると予測されます。
●これまでも、市民の批判浴びて何度も「中止」に…
私が初当選した1979年には、グランドキャニオンやラスベガスを訪問するアメリカ旅行が企画されました。私の反対で中止となりましたが、翌80年は東南アジア旅行を強行。81年のアメリカ旅行中に議員の汚職事件が発生し、82年の北欧旅行は中止になりました。
これらの旅行は市民の怒りを買い、住民訴訟に発展します。もっとも、最高裁まで争われた訴訟は住民側が敗訴。10年後に復活議論が起こりました。時代の変化もあったため、市民の参加、計画の事前公表、報告会実施などを条件に私も同意し、1992年のアメリカ・カナダ視察に参加しました。ところが、私が議員を辞めたとたんに「市民参加」は廃止。93年〜02年は毎年、議員だけの旅行が続いていました。2003年にカムバックした私が「身勝手な旅行は許されない」と反対したため、その年から5年間は中止。
しかし、2008年に再復活し、またまた市民の批判が高まりました。08年の旅行経費は議員1人あたり201万円で、大阪府議会の110万円の2倍近い金額でした。私は、その事実や府議会では支度料(5万円余)を支給せず、参加議員が7人未満なら随行職員なし、旅行社添乗員の経費は参加議員の自己負担であることなどを指摘。市民の皆さんの大きな関心を集める中、同年秋に予定していた「マカオ・ベトナム・シンガポール旅行」は参加者の辞退が相次ぎ、結局「中止」となりました。
●大阪府や大阪市の議員たちも自粛
当時は、府議会や大阪市会でも海外旅行を自粛しており、この5年間、堺市議会もそれに倣ってきました。でもやっぱり、税金で豪華な海外旅行をしたいとの思いは捨てられないのでしょう。今回は、「姉妹都市訪問」という新しい口実を見つけて、海外旅行の再開を企んでいます。
6月11日(水)時折小雨がぱらつく不安定な天気。昼食時の外出に傘は不要でした。