《2010.8.3〜5》
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※8月2日以前の日記は、前ページに掲載

8月3日(火)今朝も曇り空でしたが、湿度の高い暑さが駅前を覆っていました。

南海・百舌鳥八幡駅前で議会報告。駅近くに人家が多いことに配慮して、今朝もマイクを使う時間を30分ほど遅らせました。また、この駅では盲導犬と共に乗車される方があって、来るたびに出会っていたのですが、今日はお目にかかれませんでした。「もしかしたら夏休み?」…。いつも通る人の姿が見えないと、ボランティアメンバーも気になるようです。
さて、今日は母の様子が見違えるように元気になっていました。食欲が出てきて、入浴もできたようです。特養では、職員の皆さんの誰もが心配して下さっています。

今朝は、泉北高速鉄道・泉ヶ丘駅前で議会報告。このところずっと、庭代台のOさんと竹城台のMさんが配布ボランティアに参加して下さって助かっています。事務所に戻ると、スタッフのUさんが、炎天下にもかかわらず中百舌鳥町方面の地域配布に出かけるというので、ひと休みしてから追いかけて手伝いました。午後は、市当局からの報告を受けるために登庁。文化部、自転車対策推進室、上下水道局総務部などの説明を受けて協議。また、福祉推進部には、高齢者の所在把握の状況について確かめました。
さて、65年前の広島もこんなに暑かったのでしょうか。忘れてはならない“被爆の日”。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長、ルース駐日米大使が平和記念式典に参加。

8月6日(金)今日も35℃。「全国で猛暑日179個所」というのは記録更新とか。

JR百舌鳥駅前での議会報告では、エールを送って下さる方がまた増えたような気がしました。さて、今日は2つのご葬儀に参列し、いずれもお世話になった故人とお別れしました。お一人は、昨日の日記に書いた籔内義夫さんで、ご親族はもとより、地域の方々や故人の多彩な活動を通じての友人、住民運動仲間など、大勢の皆さんに見送られての旅立ちでした。
そしてもうお一人は、元・堺市健康福祉局長の谷口清治さん。昨年11月、突然、局長からの降板人事が発令されたためご当人の部屋を訪ねると、「病気が発見された」とのこと。「大事にされるように」と言葉を交わしましたが、その後も駅前議会報告の折など、出勤途上で元気に挨拶して下さっていたのに…信じられない訃報でした。ご葬儀では、息子の清人さんが喪主挨拶の中で棺に呼びかけられた言葉が参列者の涙を誘いました。「おやじ、こんなに多くの人に愛情をかけてくれてありがとう。不器用やったから、いさかいもあったけど、おやじの立派さがわかった。もう、ゆっくり休んでくれ」…故人を知る人々の心に響く言葉でした。

8月5日(木)駅前報告を終えて引き上げる折、すでに35℃。暑さはピークでしょうか?

8月4日(水)連日、最高気温は34℃。市役所職員の退勤時刻に夕立がありました。

今朝は駅前議会報告は休みにして、大泉緑地を歩きました。暑さのせいか、歩いておられる方が心持ち少ないように思えます。午前中は事務所で原稿執筆。午後から登庁して市民運動に関する相談や市当局との協議を行いました。
さて、今日はとても残念な訃報に接しました。堺市との合併をめぐる住民運動に端を発し、その後も市政監視の活動を続けている旧美原町の市民グループ「ネットワーク・みはら」代表の籔内義夫さんが亡くなられました。籔内さんは、正義感と頑固を2枚看板にしたような人柄で、優れたリーダーシップを発揮されていた掛け替えのない市民活動家でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。なお、お葬式は、明日(8月5日)午後2時〜、松原仏光殿で営まれます。

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