《2010.7.26〜31》

予定していた駅前議会報告は延期。午前中に登庁して、市民相談や関係部課との折衝に臨みました。午後は事務所で仕事。また、隣家にご不幸があって通夜式にお参りしましたが、その席で旧知の記者にお目にかかったのは、故人につないでいただいた奇遇でした。

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7月29日(木)天気予報が乱れ、昨夜からの雨がこの地域ではずっと続きました。

※7月25日以前の日記は、前ページに掲載

7月26日(月)挨拶は、誰もが「暑いですね!」…。でも、聞くとさらに暑くなりそうです。

三国ヶ丘駅前で議会報告。汗を拭きながら出勤される皆さんに少しでもご迷惑をかけないように…と思い、今朝はスピーチの回数を減らしてみました。
午後から登庁して、市教委教育政策課、子ども青少年育成部、自転車まちづくり推進室、大和川線推進室から資料提供と説明を受け、協議。また、26日に開催される新市建設対策特別委員会の質問通告などを確かめました。
なお、今日は、入院中の母の病状について主治医から説明があって、近々退院できそうです。

7月30日(金)今日は曇り空になることが多く、日差しも幾分か和らいだようです。

朝は南海・白鷺駅前、夕方は堺東駅前で、議会報告のダブルヘッダー。その間に、隣家のお葬式にも参列させていただきました。
故人のFさんは、私が引っ越して来て以来10年、出会っても挨拶を交わす程度の方でしたが、日刊スポーツ新聞社で数々の業績を残された競馬記者だったことを、弔辞を聞いて初めて知りました。弔辞を読んだのは昨日の日記に書いた旧知の記者で、今、同社の社長。39年にわたって記者、編集長、役員を歴任したFさんは、関連会社の社長として福岡に在勤中でした。ここ1年半、赴任先で世話をして来られた奥さんは、夫の仕事ぶりへの賛辞を噛みしめつつも、「まるで母子家庭のようでした」と涙ながらの喪主挨拶。見つかった病魔と闘う一方、急逝される前日まで仕事一途だったという団塊世代の猛烈記者を、隣人として心より悼みます。

今日は駅前議会報告の予定がなく、朝から登庁。新市建設対策特別委員会での議論を控室のモニターを通じて、昼休憩に入るまで傍聴しました。また、その間に、いくつかの関係部課と折衝。午後は、母の退院手続きと出迎えのため病院へ。

7月28日(水)天気予報の「午後に雨」を期待していたのですが、はずれました。

7月27日(火)辻元清美さんが社民党を離党。瞳が冴えていないのが気になります。

地下鉄・中百舌鳥駅@A出入口での議会報告では、道路東側の@出入口でスピーチさせていただいています。反対側のA出入口で「議員活動報告」を配って下さったSさんの話によると、Sさんを長谷川だと思って話しかけ来られた方が今日は2人もあったとか。午後から大阪市内に出て、弁護士と打ち合わせ。また、大阪市役所にも立ち寄って、調査しました。

駅前議会報告のため、しばらく休んでいた大泉緑地の散歩を久しぶりに実行。少し花の手入れをしてから母の特養に。退院後、食欲が落ちている母のベッドの側で過ごしました。

7月31日(土)朝方は曇っていましたが、また厳しい日差しが戻ってきました。

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