四国遍路ひとり歩き同行二人
区切り打ち日記(2005.2.11〜22)
1番・霊山寺→26番・金剛頂寺
まえがき
2月11日(金) なんば→鳴門西〜1番霊山寺〜6番地蔵寺 (足慣らしの初日)
「どうしてあなたはお遍路をしているのですか?」…。「尋ねないのがマナーだ」と、歩く前に読んだ本に書いてありました。いつごろからか「四国を歩いてみたい…」と思っていて、いろいろな経緯から思い切って歩き始めました。とりあえず、仕事のやりくりがついた12日間の計画を立て、行き着いたところから、バスや電車を乗り継いで歩いた道を帰ってこようと出かけたのが、今回の“区切り打ち”です。長い距離を何日もかけて歩ききる自信はまったくなく、途中で挫けてしまうことを恐れ、妻以外のほとんど誰にも話さずに家を出ました。例外だったのは行きつけの理容店で、出発の前夜、頭を丸刈りにしてもらうときに話しました。中学校時代以来、50年ぶりの坊主頭にしたわけは2つあります。ひとつは、髪を刈った理由を聞かれたときに「でも…途中で挫折した」とはいいにくいから、少しは意思を貫く助けになるだろうと思ったこと。もうひとつは、整髪用品など余分な道中荷物を減らしたかったこと。ともあれ、歩き遍路にとって必需品となる菅笠を被るのに、この髪型はいたって便利でした。
やはり心配だったのでしょう。妻が、なんばの高速バスターミナルまで見送ってくれました。予約をしていた7時30分発の高松行きは、ほぼ満席。淡路島南部に差しかかったところで雨に…。「初日から雨中歩行」と覚悟を決めましたが、幸い鳴門海峡を渡ったら雨は止み、料金所を出ると日も差してきました。9時40分、高松自動車道の鳴門西パーキングエリア内のバス停で降り、道をたずねながら約15分で1番札所の霊山寺に到着。
信仰心などまるでない私ですが、遍路歩きをさせていただくなら、「お詣り」は最低限のマナーと心得ようと思っていました。ものの本に教えられる通り、ローソクとお線香3本を供え、納め札を納めてお賽銭を献じてから、教本を見ながら般若心経を「読み」ました。ところが、意味はおろか漢字すら目に入らずふり仮名だけを追っているのに、なぜか涙がわき出てくるのをこらえることができません。長年わがままに付き合ってくれた妻に詫び、いつも私たちを気遣って下さる方々の健康やご病気の快癒をひたすら念じてお詣りを終えました。
今回の旅立ちに当たって、白衣や輪袈裟などの遍路装束はネット販売で購入していたのですが、家を出るときに目立つ金剛杖と菅笠は、一番寺で揃えました。初めて被る菅笠の扱いに戸惑っていたら、販売所の方から「まず頭に手拭いかバンダナを巻きなさい」と教えられ、リュックに入れてきた剣道の面タオルを着用。この和式タオルは、何かとご指導いただいている奥園國義先生が9段ご昇段の記念に下さったもので、いちばん大事なときに着けようと思っていたものです。身なりを整えて、本堂から大師堂に回る折り、お詣りに来られた方から手を合わせられて驚きました。これから歩き始める初心遍路の無事を祈って下さったのでしょうか。
2番札所の極楽寺までの道は1.4qですが、目の潤みはずっと続いていました。お詣りを済ませて立ち寄った売店で寺製のバラ寿司をいただくと、「職員休憩所でどうぞ…」と勧められ、“お接待”のソバまで用意して下さいました。親切な応接にひかれて、遍路用の数珠も購入。すると、道中でなくさないためにと、輪ゴムで細工もして下さるのです。
初日は足慣らし…と決めていたので、3番金泉寺、愛染院、4番大日寺、五百羅漢に詣って、5番地蔵寺まで(地図上で12.2q)を歩いて打ち止め。門前の遍路宿に入ると、5代続くというこの宿の女将が杖を洗って床の間へ。同宿者は、2組みの夫婦と若い女性が2人。みんなで、心のこもった料理をいただきました。
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