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《2008.9.6〜8》
9月6日(土)まだまだ厳しい日差しながら、ふと秋を思わせる雰囲気が感じられます。
先月末、「いちびりの達人」…と言ってもきっとご当人はお怒りにならないと思われる
木割大雄さん(写真右)からお手紙をいただきました。「当方、あいも変わらず、遊んで居ります。油?を売って、人を喰う生活も、長年やって居りますと、周囲もすっかりアキラメてくれまして、好きにせょ、という顔をしています」。そして、木割さんが企画・構成にあたった催し「今、よみがえる琉球音楽史」の招待状が添えてありました。しかし、私の方は「議会開会中だし、和泉市議選の応援も頼まれているので、今回はご辞退したい…」とお断りの電話を差し上げていたのです。
にもかかわらず、「お逢いしたいなァ、と思いまして、同封のお誘いを…」という手紙の結びがずっと気にかかっていて、日程のやりくりができたので、阪神尼崎駅近くのアルカイックホールに足を運びました。木割さんとの出会いは、1993年。尼崎市議会のカラ出張事件をめぐって、神戸新聞が企画した座談会です。関学大の森脇俊雄教授を交えた鼎談だったと記憶していますが、終わってから木割さんに「あんたみたいな市会議員に会うたのは初めてや」…と言われて意気投合。以来、自他ともに“下町のプロデューサー”を認める木割さんがかかわるイベントに、しばしばお招き下さっているのです。きょうは、
関西琉球舞踊研究所の第18回公演で、琉球王朝の消滅とともに途絶えていた「
御座楽」(うざがく)の「復元演奏研究会」がゲスト出演。幻の音楽や伝統的な踊りを楽しみながら、私が油を売らせてもらいました。もっとも、終了後すぐ、気になっていた和泉市議選(最終日)の応援に向かいました。
9月7日(日)暑い暑いと思っていても、年中暑いタイとは、やはり違うようです。
1か月あまりタイに行っていた息子が帰国。反政府デモのことが気になっていたのですが、息子たちの作品展会場が政府機関に属しているため、一時、周辺の封鎖騒ぎもあったようです。とは言え、「騒乱」という状況ではなく、穏やかに鉄条網を張り、また自主撤去したとか。タイ駐在が合計8年になる弟からは、次のようなメールが届いています。
反政府デモは膠着状態のまま。反政府運動の方針に、「7割の議員は任命制にしろ」というのがあります。「愚かな大衆が選んだ議員は信用にならない」という、エリート層の傲慢さです。選ばれたエリート層が善政を施し、大衆を導くという考え。タイ語の民主主義は、「Democracy」の訳ではない。民が主ではない。サマック首相も民主的でないかもしれないが、少なくとも民主的手続きで選ばれた。これは尊重しなくては…。一般のタイ人は冷静かつ現実的です。東南アジアの中で、タイが一番経済的発展(このことがいいことなのか、どうかは別にして)をしてきた理由が、ここにあるかもしれません。
9月8日(月)わが家の周辺でも、夜や明け方、虫の音が聞こえてきます。
和泉市議選では、自治体議員勉強会に来ているの仲間4人全員が当選。ご依頼があって応援に伺った小林昌子さんはトップでした。そのことを確かめてから地下鉄・新金岡駅へ。今回の駅前議会報告は@出入口からスタートです。そしてきょうは大綱質疑本会議の3日目。公明、自民、民主各党が2巡目の質問をしましたが、午後1時34分に終了。会議時間は3時間半も残りました。