※3月6日以前の日記は、前ページに掲載
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《2005.3.7〜11》
3月7日(月)「暖かくなる」という予報を体感できなかったのは、風邪気味のせいでしょうか。
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大綱質疑の最終日。3人会派の「プロジェクト堺」「新しい風」「自民党堺市議団」の各代表が順に質問に立ちましたが、意外に皆さんあっさりしたもので、本会議は2時前に散会。先週金曜日に質疑を終えた気の緩みからか、風邪をひいてしまった私にとっては助かりました。
もっとも、事務所で夜6時半から受け付けた「市政・法律相談」には3組の相談者があり、終わったのは9時前でした。明日からは予算委員会。わが会派からは田中議員と■■議員が委員になり、月森議員と私は傍聴役にまわります。
3月8日(火)「寒気が去る」との予報。しかし、なかなか「暖気」を感じさせてはくれません。
18人も議員定数が増えた分、予算委員会の構成人数がふくらみ、委員会室はぎゅうぎゅう詰めです。その上、会議時間も長引いて、初日から時間延長。わが会派の■■議員と田中議員の発言を聴いてから、少し早めに市役所を出ました。
今夜は、桃山学院大学に復職していたころの学長が定年退職されるので、久しぶりに当時の学長室のメンバーが揃って会食。インターンシップ、セクシュアル・ハラスメント防止システム、大学自己評価など、手がけた仕事を思い出しながら話が弾みました。
3月9日(水)春の暖かさを少し予感させてくれる穏やかな日に、やっとなりました。
きょうの予算委員会は、「民生費」の審査。意外にも質問者が少なくて、2時前に終了しました。こちらも早めに事務所へ引き上げ、久しぶりにスタッフと打ち合わせ。スケジュールの調整や事務所での作業態勢の整備を図りました。一段落したところに、某紙記者が取材のために来訪。同じようなテーマで私も調査中の事件ですが、どのような記事になるのか楽しみです。
3月10日(木)寒気の居座りで長く咲いてくれた梅が散り、沈丁花が開き始めました。
予算委員会の議論はきょうも低調で、3時の休憩に入る前に「衛生費」の審査を終えて延会。議員控室での傍聴の必要もなくなり、早々と事務所に引き上げさせてもらいました。風邪症状が抜けない私には好都合だったのですが、こんな日は事務所の仕事が待っていて、改装計画の相談のために設計士さんが来訪。また、大阪市の職員厚遇問題に関する電話や、ある小学校の保護者からのご相談などが相次ぎました。
3月11日(金)昼前から降り出した雨に、「春」を感じさせてくれる暖かさがありました。
大泉中学校の卒業式にお招きいただきました。卒業生のほとんどが隣接する大泉小学校からいっしょに学んできた子どもたち。代表が読んだ答辞にも、「48人みんなを理解し合って過ごしてきた」と、9年間の学校生活を共にした和やかさを語る一節がありました。卒業生の全員が並んで「大地讃頌」を合唱するという演出を盛り込んだこの答辞は、「答辞作成委員会」の手によるものだそうで、巣立ち行く彼らの思いがよく伝わってくるものでした。続いて、在校生もまじえてのコーラスとなった「旅立ちの日に」と「さよなら友よ」にも、歌っている生徒たちそれぞれの感情がこめられていて、精一杯の拍手を送りました。
午後からは、昨日相談があった泉北ニュータウンの小学校に足を運んで校長先生と懇談。率直に問題点を認められたので、改善をお願いしてから市役所へ。ところが、予算委員会はきょうも早めに終わっていて、傍聴はできませんでした。