みんなで“市民の旗”を押し立てよう…
堺市政へのカムバックを決意しました。
◆9年間、“ただの市民”の感覚を研ぎ直しました
 1993年の衆議院選挙では、皆様の大きなご支援をいただきながら、ご期待に応えることができず、申し訳ありませんでした。あれから、もう9年がたちました。
「ただの市民」の政治参加を唱えて堺市議会に議席を得た14年間は、政党や企業、団体による利権政治に代わる「市民政治」をつくりあげようと努力しました。そして、皆さんの力をお借りして日本で初めての政治倫理条例が生まれ、数々の市政の問題点を改めることもできました。当たり前のことを当たり前に考え、行動する議員が一人でもいたら、議会や市政を変えることができると思っていただけたのではないでしょうか。
 だけど、何年も「議員」をやっていたら、いつのまにか、“自分は別世界の人”と思いこむ「議員病」にかかってしまうのではないかと恐れてもいました。
 そこで、総選挙での落選を機に元の職場に戻って、もういちど「ただの市民」の感覚を研ぎ直そうと思ったのです。そして、サラリーマンをしながら「都市政治研究所」を立ち上げ、同じようなこころざしを持って各地でがんばっている地方議員たちのネットワークもつくりました。この研究所の勉強会では、高知県の橋本知事、三重県の北川知事、宮城県の浅野知事との懇談を行うなど、分権時代の地方自治のあり方を学んできたのです。
◆“当たり前”の感覚を持った議員は、だれもいないのでしょうか。
 この9年の間に、不景気はいっそう深刻になって、私たちの生活を脅かしています。それなのに政治は、不況脱出への有効な手だてを講じられないばかりか、政治家たちの不正事件を続発させています。「何かをやってくれる」と高い支持率を保ってきた小泉内閣も、「言葉だけで実行なし」との批判を浴びはじめました。
 堺市議会でも、1人100万円の海外(視察)旅行や、会議出席日当の43%ものお手盛りアップなど、市民常識とはまったくかけ離れた動きが続いています。職員給与を5%カットし、さらに退職金の10%削減までしないといけない厳しい財政事情がありながら、議員たちには“当たり前”の感覚がないのでしょうか。
「議員病」にかかっていない議員が一人でも居て、「そんなバカなことはやめよう。私は、仲間に入らない」と主張していたら、きっとブレーキをかけることができたと思えるのに、残念です。
◆市民に責任を持たない堺市政と市議会は、困ります。 
 2002年8月に強行実施された住基ネットは、自民党内にさえ「プライバシーを危険にさらす」と反対の声がありました。市民一人ひとりの意思を尊重するため、市長が「選択制」を断行した横浜市では、実に84万人の市民がネットへの参加を拒みました。しかし、堺市議会では、この問題をめぐっての肝心な議論が何も行われていないのです。
 6年前のO-157事件でもそうでした。3人の学童の命を奪い、6,561人の感染者を出した重大事件でありながら、市の幹部は裁判結果が出るまで責任を認めませんでした。議会はこれを許してきたばかりか、事件発生直後に議員たちが「海外視察」に出かけてしまうなど、緊張感や職責への自覚をまったく失っていたのです。
2002.12.8   (元)堺市議会議員 長谷川俊英
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