この人との出会い
末川 博先生(元・立命館大学総長)
市川房枝さん(元・参議院議員)
篠原 一先生(東大名誉教授)
菅 直人さん(衆議院議員)
「人としての生き方」や「政治のありよう」を、直接教わった方々
若くから、ともに“市民政治”をめざした友人たち
江田五月さん(参議院議員)
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(その1)
「馬を水際まで連れて行くことはできるけれど、無理矢理水を飲ませることはできない」…大学入学式の式辞の一節をいまだに覚えています。卒業式では、「輝かしい21世紀をつくることができるのは君たちだ。未来を信じ、未来に生きよ」と教えられ、そのとおりに生きてきました。
「政治の入り口の選挙を清潔にできないで、政治をきれいにすることはできない」。長谷川俊英の選挙は、市川さんの教えに基づいて、いつも理想選挙。選挙費用も、皆さんからいただいた「1口100円カンパ」でまかないました。議員になってからは「報酬公開」を実践。資産公開制度を柱とする「政治倫理条例」制定運動も、ここから生まれました。
強烈な印象を受けた1冊の本がある。『ライブリー・ポリティクス』。この言葉を最初に日本に持ち込まれたのは篠原先生ではなかっただろうか。「生と生活に連関したいきいきとした政治」。これを実現するために、政治を見直し、自ら参加する…そんな政治スタイルの理論的根拠を学びました。そして政治倫理条例制定運動では、いろんなアドバイスもいただいた方です。
「大阪との中間地点・明石で会おう」…そんな約束をした夏休み、彼は岡山から鈍行列車でやってきた。内部対立が始まった学生運動の集会で知り合い、なんとなく気があったのだが、卒業後、裁判官の道を歩んでいた江田さんも、父・三郎氏の急死で政治の世界に戻りました。写真は、1993年の総選挙で応援に来てくれたときのもの。
「市川房枝さんを勝手にかつぎ出す会」の運動を成功させた若者たちが、わが家を訪ねてきて話し合ったのは、30年近く前のこと。泊まってもらっての意見交換で、国政の改革を目指す菅さんに、「私は地方政治の場でやってみたい」と言いました。写真は、市川房枝さんのお別れ会(1981.2.12)会場付近の路上で立ち話。菅さん34歳、長谷川39歳です。
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