大綱質疑の2日目。私の登壇は予定時刻より15分早まりました。
通告していたテーマは、「堺市長の倫理に関する条例」(倫理条例)及び「堺市男女平等社会の形成の促進に関する条例」(男女平等社会推進条例)。この議論をすることになった契機は、4月12日の日記に掲載した植松順子さんの朝日新聞投稿です。
●「くじ引き民主主義」に興味あり
倫理調査会の会長を2年間務められた植松さんが市長や議員の資産報告書を審査する同調査会の市民委員に応募した動機は、「欧州で流行し始めた『くじ引き民主主義』を経験してみたい」とのこと。また、「男女比も決められており、女性の意見も反映されると思った」とも書かれています。
●「公正を期して」、抽選で選ぶ市民委員
堺市の倫理条例は市民委員の選任について、「公募に応じたもののうちから、公正を期して市長が委嘱する」と規定し、施行規則で「抽選の方法」で選ぶと定めています。ところが、2002年に男女平等社会促進条例が制定され、審議会等の委員委嘱の際、男女の片方が40%未満にならないように努める旨が規定されました。このため、市民委員7人について、応募者の多い性から4人、少ない性から3人を選ぶことにし、男女別々に抽選しているのです。
●倫理調査会委員の数は、アメリカ映画「12人の怒れる男」を参考に。でも、なぜ「怒れる男」?
1983年制定の堺市倫理条例は、汚職に怒った市民の直接請求によるものです。当時、市民と共に条例案を起草した折、私は陪審制度を描いたアメリカ映画「12人の怒れる男」に感動し、半数の6人を議会委員、それより1人多い7人を市民委員とし、市長の恣意を排除するために「公正を期して」の一語を入れました。市当局に記録が残る2011年以後の市民委員の応募状況を見ると、男女比率が「4人と3人」に合致する年と、「5人と2人」に合致する年があります。抽選に当たる確率が男女で異なるのは果たして「公正」か。まず、そんな疑問から考え始めました。
他方、なぜあの映画が「怒れる男」だったのかという疑問も以前から抱いていました。およその予測はしていたのですが、映画が制作された1957年頃のアメリカでは女性が陪審員になる権利が奪われていたことが判明。「女性は自分の家と家族の世話が主な義務」とか「刑事裁判の審理での露骨な証言は女性にショック」という男性側の偏見が、その理由だったことも分かりました。
そんな歴史的事実を踏まえれば、男女平等の理念の下、女性参画を推進するに当たって「男性が不利になることはやむを得ない」と、私は思いを改めさせられたのです。(続きは、明日の日記で)