竹山市長が4月30日で辞職するために招集した臨時議会が開かれました。辞職には全会派が同意したものの、各会派ともそれぞれの代表が意見表明。
●議員総会のため用意した利休遺偈
私はまず、千利休の遺偈(ゆいげ)を示しました。時の権力者・秀吉の逆鱗に触れた利休は、この遺偈を書いた3日後に自刃。当日の天正19年2月28日は、新暦では1591年4月21日に当たります。
400年以上を隔つとは言え、季節は同時期で、利休は数え年の70歳でした。1950年生まれの竹山市長も、利休と同じ節目の年を迎え、市政の主人公である堺市民から大きな怒りを買っています。
実は、この遺偈は、4月23日に開かれるはずだった議員総会で示して竹山市長に辞職を勧めるために用意していました。
●市民目線を忘れた政治資金対応
竹山市長は、「堺市政を市民目線で総点検」のスローガンを掲げて初当選。各年度の予算説明にもその言葉を多用してきました。また、以後の施策の多くは「市民目線」で展開されていると評価できます。
しかし、今回の政治資金問題では、記載漏れの収支総額は2億3千万を超え、報告発表後の指摘で説明も変遷しています。政治資金規正法への認識を欠落させた対応は、「自分目線」としか言いようがありません。
●チエック怠った私自身も反省
1期目には「企業・団体献金を受け取らない」と言っていた竹山市長の下に、これほど多額の政治資金が集まっていたことも驚きです。「政治とカネ」について、私自身がチッェクを怠ってきたことへの反省も述べました。
そして、32年前に堺市民が制定させた「政治倫理条例」の規定を、市長も議員もあらためて自覚しなければいけないと主張。
最後に、竹山市長が退任後も数々の疑問について市民に説明し、今般の政治資金問題の真相を明らかにすべきこと。「市民目線」の初心を取り戻して、市政執行において残した業績の曇りを取り除くことを切に望むと付け加えて、討論を終えました。