《2013.8.7〜10》
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※8月6日以前の日記は、前ページに掲載

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月7日(水)晴れている空が突然雲に覆われたりします。33℃の蒸し暑さは変わらず…

私が留守中の昨日もボランティアの方々が事務所に来て手伝っていただいたお陰で、「議員活動報告」の発送準備作業ははかどりました。事務所での作業は今日の午前中に完了。自宅に持ち帰って手伝って下さっている方の分が戻ってくれば、明後日にも発送できる予定です。
今日、作業の合間にお目にかかる約束をしていた2組の来客には、私の分担分の作業を終えてからゆっくり面談させていただくことができました。最初の方々とは大震災や原発事故からの避難されている皆さんへの支援をめぐって、また次の方とは秋の市長選に関して意見交換。いずれも堺市政への深い関心をお持ちの方々です。この他、突然の来客もありましたが、応接後に活動報告の地域配布を担っていただいている人などを訪問。美原区では、挿し芽で増やした花鉢もいただきました。

月10日(土)午後3時の気温は、とうとう37℃となりました。まさに「酷暑」の一日です。

昨日、「議員活動報告」の郵送読者への発送を終えて余部が確定。また、地域配布でお預けしていたものも少し戻ってきたため、早朝の2時間半、中百舌鳥町6丁、5丁、4丁を歩きました。未配布だった地域にお届けしたのですが、全戸には行き渡らず申し訳ありません。
午後は、市立堺病院の開院90周年記念式典に参加。阪大大学院・仲野徹教授の記念講演や堺病院医師による発表を聴きました。堺病院が開院した1923年は、ヒトラー政権の誕生、日本政府の国際連盟脱退、小林多喜二の逮捕・虐殺など、きな臭さが漂う年だったようです。また、地下鉄御堂筋線(梅田〜心斎橋)の開通、中京商・明石中の25回熱闘もあったとか。
※上記各事件は堺病院医師の発表に基づいて記しましたが、すべて「1933年」(10年後)の出来事でした。

長崎原爆の日。被爆68年の平和記念式典のテレビ中継を見ながら、会場の人々に合わせて黙祷しました。田上富久市長は平和宣言で、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が署名しなかったことを、「被爆国としての原点に反する」と批判。しかし、安倍首相の挨拶はそれに触れませんでした。
午前中は事務所で、たまっている仕事の整理。伝統産業会館に立ち寄ってから、お昼過ぎに登庁し、市教委から資料提供を受けるなど諸々の情報収集に当たりました。

月9日(金)朝の気温が27℃。正午には35℃。日が暮れても30℃。少々うんざりです。

8月議会に提出予定の議案について財政部から説明を受けるため、朝から登庁。終了後に市教委とも協議しました。また、午後からは、市が発注する測量業務について、関係団体の陳情に立ち会い、土木部や道路部との話し合いにも同席。この問題は6年前に市議会で色々な問題点を指摘したことがあるのですが、市当局は事態の改善に努めたのでしょうか。その検証も含め、後日また話し合うことになりました。
ところで、秋の市長選をめぐって、記者さんたちの取材も相次いでいます。皆さんの関心事は「維新の会の候補者は誰?」ということですが、私はもうすでに維新は(少なくとも橋下氏は)決めていると推察しています。「清水アナに2度もふられる」という(無様な)事件も維新ならでは演出で、一連の動きの中に本命候補を売り出す策略が秘めれていたような気がするのです。…ここまで書いて夕刊を見ると、2紙が具体の候補者名を報じています。この人物だったら、私の予想は「ハズレ」です。

月8日(木)朝から厳しい日差しが降り注ぎました。最高気温は35℃。猛暑日です。