2月10日(金)今日も、日中気温は1℃〜6℃。午後からは曇り空で寒さはいっそうです。
新金岡団地の地域新聞「こんにちは!」の編集に携わっていたころに撮った写真を整理していたら、思い出深い一枚が出てきました。
●堺市の図書館行政を発展させた、栗原均さんの大きな功績
撮影場所は、堺市立図書館(現中央図書館)の館長室で、中央が当時館長の栗原均さん。左は館外奉仕係長(後に新金岡図書館長)の丸井一城さん。陳情書か要望書を持ってきた女性たちの横合いから頭をのぞかせているのは私の息子です。栗原さんが館長を務めたのは1972年(9月)〜1977年。その間、新金岡図書館(移転後、現北図書館)や泉ヶ丘図書館(現南図書館)が開館するなど、堺市の図書館サービス拡充が始まりました。栗原さんの仕事は、施設や図書の整備だけでなく、利用する市民の力を活用して図書館を地域社会に根付かせるものだったと思います。なお、写真は息子の年齢から推察して1972年に撮影したもののようです。
●図書館協会事務局長、理事長として、図書館界の発展にも寄与
就任前、大阪府立図書館の主幹兼整理課長だった栗原さんは、46歳〜51歳の5年間、堺市の図書館長を務めた後、府立図書館に復帰されました。1978年から日本図書館協会の事務局長として活躍し、1993年には理事長に就任。2001年5月、75歳で理事長を退任後も顧問となり、
社団法人読書推進運動協議会の副会長をされるなど、日本の図書館界の発展に貢献。しかし、昨年11月13日、急性腎不全のため85歳で逝去されました。
●逝去2か月前、他人を思いやり、ご自身の病にも触れた手紙
栗原さんには、桃山学院大学司書講習で参考業務(レファレンス)の講師もしていただきました。実は、堺市の関係者が館長就任を要請するため、授業を終えた栗原さんを訪ねて来た折、講習事務室にいた私も立ち会っています。私が1979年に市議になってからは、図書館政策の勉強にあたって、しばしば教えを受けていました。そして、昨年6月以降、前立腺がん罹患を見舞うお手紙を何度かいただき、9月3日には、ご自身が腎不全で7月から入院されていた旨の記載があって心配でした。そして9月13日のお手紙では、治療を終えての議員活動再開に「感服している」との言葉とともに、「野間読書推進賞」の選考会議に病をおして参加し、堺市図書館友の会会長・松井郁子さんが最高点で受賞者となったことなどを知らせてくださいました。
●心残りを抱きながら、参加できなかった「栗原均お別れ会」
栗原さんの信じられない訃報を韓国旅行中に聞き、2月7日に東京で催されたお別れ会にも公務出張のため出席できませんでした。お世話になるばかりで、ご恩に報えなかったのが心残りですが、あらためて哀悼の誠を捧げます。